行ってみなければわからない 雪道を過ぎ、3人とも無事に、なだらかな道に出た時は本当にほっとした。夕方、ようやく13時間の長い登山を終え、山小屋のドアを開けると、先に戻っていた日本人の団体ツアー客が口々に「山頂は行けた?」…
画像ギャラリーいよいよ5898mの山頂へ立つ日がやってきた。月の明かりに照らされて登る真夜中の登山。いったい、どんな世界が待っているのだろうか。予想外のことが起きまくる、キリマンジャロ登山の最終回もお楽しみください。
さあ夜だ。出発しよう!
あまり眠れないまま、日付が変わった午前0時すぎに起こされた。キリマンジャロ登山の一番のハイライトである山頂への出発は、真夜中である。
今まで1日4〜5時間くらいしか歩かなかったのに、今日は1000m登って2000m下るというきついトレッキングが待っているのだ。ヘッドライトをつけて外に出たら……なぜか、まぶしい!? 空を見上げると、ぽっかりと丸いお月さまが浮かんでいる。満月ではなかったが、それでも地面に人や岩の影がくっきり映っていた。
ガイドのロビンが「今日はそれぞれのペースで勝手に登って。気持ち悪くなった人は後から見つけて回収するから」と言う。のろのろと歩く私をスペイン人のルイスおじさんは追い越しながら、「アヅサ、そんなにゆっくりじゃ、日が暮れちまうぜ! わっはっは!」と笑ってガシガシと登って行ってしまった。ところが、その10分後、おじさんは頭を押さえながら猛ダッシュで戻ってきた。
「ど、ど、どうしたの?」
「俺はもうダメだ……代わりに山頂まで行ってくれ!」
「え、いくらなんでも早すぎない? ゆっくり登れば?」
「苦しんで登っても楽しくないさ。山小屋でお前たちの帰りを待ってるよ!」
パーティの中で一番、張り切っていたのに、引き際は見事なほどあっさり。「グッドラック!」と言い残し、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
一方、日本の女子大生たちも高山病で道端にうずくまっていた。ガイドに「降りたほうがいい」と言われても首を振っている。追いついた私も心配して声をかけたが、登頂証明書がほしいのだとひとりが答えた。旅の途中、出会った学生も「就職に有利になるから」と話していたっけ。
それでも死んでしまっては元も子もない。私は「山登りはしょせん遊び」という言葉を思い出した。前の日、しばらく並んで歩いたポーターのおじさんに「山頂の景色って、どんな感じ?」と尋ねたところ、たどたどしい英語とジェスチャーで「山小屋まで何百回も登っているけれど、ピークなんて行ったことないよ。だってマネーもらえないからね。山登りなんてリッチな外国人の遊びだから」と鼻で笑われた。
言われてみれば、登山客は現地のアフリカ人はひとりも見かけず、ほぼ日本人と西洋人である(20年前当時)。豊かな日本に生まれ育ち、山登りを贅沢だと考える国が世界にあることを想像もしていなかった能天気な私は、自分のとんちんかんな質問に穴があったら入りたい気分になった。一方で、「ただの遊び」と心がけることで、無理をせず安全に登山ができるのではないかとも考えた。
ついに山頂で胴上げ!
高度が上がるにつれ、石がゴロゴロとして急こう配になっていく。ナイトハイクは日本でも経験があったが、標高5000mの山の上は格別であった。月面世界のように幻想的で、夜空を見上げれば、そのたびに流れ星が落ちてくる。ただし、足元を見れば、道のあちこちで、月光に照らされながらゲーゲー吐いている人たちがいるという、日本の登山では見たことがない、なんともシュールな光景が広がっていた。
つらい、だるい、疲れた、と思うと、つらくなる。こういう時はおしゃべりがいい。が、ガイドたちは女子大生にかかりきりだし、ニックも先に行ってしまった。相手がいないので、「ロマンチックだねえ」などと大蛇に話しかけては、鼻歌を歌いながら登る。まさか、ジャンボがこんなに役立つとは。いい加減だと思っていたあの山オヤジは、すべてお見通しだったのかもしれない。
出発から5時間ほど経っただろうか。 山頂の「お鉢」の一角にある5682mのギルマンズポイントに到着した。振り返れば、地平線の彼方からゆっくりと日が昇り始めている。
山頂まであと高度200m。ここから、どんどん景色が変わり、氷河と岩山が一体となったダイナミックな光景に目を奪われる。いつの間にかキラキラした雪道に変わり、山頂に続くゆるやかな稜線を歩いて行く。
「ジャンボ、ごらん、あれが山頂だよ!」と指を指す私を、ほかの登山客が奇妙な目で見ているが、もはや気にならない。
そして、ようやく5898mのだだっ広い山頂にたどり着いた。バンザイ! ふもとの街やサバンナが遠くまで見渡せる。ところどころ光っているのは電気なのか水なのか。感慨に浸っている横で、アメリカの国旗を持ったカップルが登頂を祝ってブチュー! と派手にキスを始めた。
わかる、わかるけど! 悔し紛れに「やっほい!」と相棒・ジャンボを胴上げ。すると、先に着いていたイギリス人のニック青年が私に気が付いて、「ヘ~イ!」と、手を振って寄ってきた。ここで我らのガイドを待つことにしようと写真を撮り合うも、氷点下で吹きっさらしの山頂は寒い。そこで体を温めるべくジャンボを結んで丸めて「それ!」とバレーボールを始めた。キリマンジャロの空に舞う大蛇! ジャンボ七変化である。
お前、元気だろ?
それから10分も経たないうちに、ガイドとともに青ざめた女子大生がヨロヨロと登ってきた。顔は真っ青なのに、すごい根性である。私ならとっくに諦めているだろうが、若いからだろうか。しかし、喜ぶ様子もなくへたり込んでいる。
ガイドのロビンは、眉間にシワを寄せて「こっちは大変だから、ふたりで勝手に下ってくれ」というので、先に歩き始めた。その矢先、突然、ニックがバッタリと倒れた。足が全く動かないらしい。あわてて駆けつけたロビンともうひとりのガイドが「やれやれ」という顔をして、捕らわれた宇宙人のようにニックを両端から抱え、引きずって歩くことになった。
「というわけで、日本人同士だろ。女子大生たちのうちふたりはお前にまかせたから!」
「ええっ!? 日本人といっても初めて会った人たちだし、私もこんな高所は初めてだし」
「あれからいくら言っても、彼女たち降りないんだよ! 日本人はどの国の人より登頂にこだわるからなあ。ここじゃ、追加のサポートも呼べないし、お前、元気だろ?」
ロビンはキレ気味にキイキイとまくし立てる。そりゃ、お客さん5人中4人までがゾンビのように目が死んでいるのがよりにもよって山頂である。ロビンも必死なのだろう。致し方ない。彼女たちのリュックも前と後ろに背負い、ひとりを抱えて降ろすと、また登り返してうずくまっているもう一人の腕を取って何度も往復するはめになった。
恐ろしいことに、女子大生のひとりは、「私は大丈夫でぇ~す!」とフワフワと鳥のように蛇行する。空気が薄いからだろうか。そのたびに慌てて「ストップ!」と首根っこを捕まえねばならない。なんだかもう、下りはカルガモのお母さんの気分である。
行ってみなければわからない
雪道を過ぎ、3人とも無事に、なだらかな道に出た時は本当にほっとした。夕方、ようやく13時間の長い登山を終え、山小屋のドアを開けると、先に戻っていた日本人の団体ツアー客が口々に「山頂は行けた?」と私たちに聞いてきた。女子大生は「はい!」と微笑む。登頂成功率は、約半分。登れた人と登れなかった人は顔の表情ですぐわかった。
途中で降りたというおじさんは私に「え~あんた、行けたの? ふ~ん」と、むくれてしまった。大蛇を巻いたへんてこりんなこの女でさえ山頂に行けたのに、俺は……というおじさんの心の声が聞こえてきそうだ。きっと長年の夢だったのであろうに申し訳ない。
標高が高いとはいえ、特別な技術や体力がなくても思ったより簡単に登れる山である。しかし、高度順応できるかどうかは、いくら準備や対策をしても、実際にその場に行ってみなければわからないことも多い。もしピークを踏めなかったとしても、途中の素晴らしい景観や様々な国の人との出会いだけでも、貴重な体験ではないだろうか。
楽しめたかどうか
食堂に行くと、先に降りたルイスおじさんは、ここで知り合ったという同郷のスペイン人登山客と一緒に、ご機嫌な様子でビールを飲んで盛り上がっていた。降りたら、すっかり頭痛もおさまったのだという。そして私にもビールを注ぎながら尋ねた。
「アヅサ、今日は楽しめたか?」
私はうなずいた。そして考えた。旅も山も人生も、誰かと比べるより、「自分が楽しめたかどうか」が一番、大切なのではないかと。
いろいろあったけれど、たくさんの価値観に触れた楽しい山旅だった。ただ、ジャンボと明日で別れるのがたまらなくさみしかった。巻いたり、投げたり、足に乗せたり、土ぼこりと私の汗でジャンボはすっかり薄汚くなった。 ふもとの宿についたら、石鹸でゴシゴシ洗って山オヤジに返そう。そしていつかまたジャンボとキリマンジャロに登りたい。力強くおおらかで、どうにも魅力的な山なのだ。
文/白石あづさ
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