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少女が示した矜りと人間の尊厳

米兵に凌辱された12歳の少女は、後日いまわしい犯行現場の検証に立ち会った。そのとき彼女は、けなげにも捜査員に対し、こう言ったそうだ。

「私のような犠牲者を二度と出したくないから、きちんと訴えます」、と。

やはり彼女には、安保も地位協定も、米軍の隊員教育もくそもないのである。12歳の少女は日本国民の矜(ほこ)りと人間の尊厳を賭けて、きっぱりとそう言ったのだ。

復帰以来、沖縄における米兵の刑法犯罪は4500件も発生し、うち殺人事件は12件にのぼる。

仮設はさて置くとしても、在日米軍の6割の兵士を沖縄が一手に引き受けた結果がこれだ。少なくともこの現実は、日本政府の沖縄県民に対する差別であろう。

事件は両国の政治的思惑を踏み越えて、国際連合に上程されるべきである。

どうかさきの少女の発言を、もういちど読み返して欲しい。

50年目の戦場に立った少女は、決して白旗を掲げてはいない。

(初出/週刊現代1995年10月21日号)

ベタ記事だった全国紙の第一報

1995年9月9日(土)に起こったこの事件の、大手全国紙の第一報は、社会面のベタ記事でとても小さな扱いだった。読んだ瞬間、かっと頭に血が上った。「こんな小さな扱いで報じる事件じゃないだろう」と。

全国紙に限らず、本土のほとんどのメディアの、この事件直後の反応は鈍かった。

そして、翌週、浅田さんから送られてきたのが、この原稿だった。連載開始から約1年。まだ『蒼穹の昴』も『鉄道員』も刊行されていない新進の作家だった浅田さんだが、沖縄の少女の勇気に真摯に応えてくれた。

この原稿が書かれたのは、戦後50年、沖縄の本土復帰から23年目の年だった。あれから27年。沖縄には、いまだ日本に駐留する米軍基地の7割が集中し、米軍の治外法権を容認する日米地位協定は一字一句改訂されていない。

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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おとなの週末Web編集部 今井
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