他人の短冊で人の優しさに触れる七夕
いよいよ七夕。
この季節になると、高円寺の駅には、大きい笹が設置され、みんなが短冊に願いを書いたものが飾られる。
人付き合いに対して億劫になってしまう私はいつも、見識を広げるために、飲みの場に行かない分、人付き合いの代わりとして、世の中の人たちがどんな願いを短冊に込めているのかチェックするようにしている。
世論調査のようなものだ。
ここからは前田調べになるのだけれど、第一位は「他人のために書かれた短冊」だった。
家族が元気にいられますように、とか、病気が治りますように、とか、推しが幸せでいられますように、とか書いてあるのが多い。
短冊を見ることで、そんな心優しい人が世の中に多いことがわかる。
仕事をしていると、世の中にそんなに優しい人がいるなんて分からないけれど、世の中の多くは誰かのことを思いやって、願いを書くときに誰かの幸せを祈る人が多いことがわかる。
世の中捨てたもんじゃないなって、七夕が来ると感じる。
第二位は「私欲剥き出し短冊」である。キンプリのライブのチケットが当たりますように、とか、好きな人と付き合えますように、とか、志望校に合格だの、そんな自分の願いが書かれている。
私は人間らしくて、こういう類いの短冊には好感が持てる。
願いが叶うのだとしたら、自分の幸せに直結する自分自身の願いを書く人は健全だと思うし、人目に触れるものなのに、素直にその欲望を書けるのはいいことだと思う。