「アザラシの赤ちゃん」や「シマエナガ」などカワイイ動物をカメラに収めてきた動物写真家・小原玲さん(1961~2021年)の“最後の作品”は、北海道に滞在して撮影した「エゾモモンガ」でした。その愛らしい姿を捉えたラストショットは、今夏の24時間テレビ「愛は地球を救う」で紹介されて注目を浴び、支えた家族の姿とともに大きな感動を呼びました。小原さんがガンで亡くなって、11月17日でちょうど1年。16日には遺作写真集『森のちいさな天使 エゾモモちゃん』(講談社ビーシー/講談社)が出版され、24日からは東京都内でメモリアル写真展が開かれます。写真集発売と写真展開催によせて、妻で作家・大学教授の堀田あけみさんが全4回の週1連載で夫の軌跡をたどります。第2回は「絵に描いたような親父」です。
名古屋弁の訛りがきつくなった
私には成人した子が三人いるが、未だに誰も親元を離れていない。全員独立していても不思議はない年齢だが、長男は鬱を拗らせて九年目になるし、次男は生来の発達障害である。長女は浪人中。狭い3L D Kなのに。また、三人とも父親に似て、背が高い。座っている分にはいいが、横になると場所をとる。と書くと、とても大変そうだが、私はそうそう苦労もせずに(苦労を苦労と思ってないという説もある)日々を過ごしている。身長で父親の血を受け継ぐ一方で、顔の大きさは母親似、というだけで十分に親孝行である。小原玲の顔は本当に、でかかった。ダイエットとリバウンドが趣味(だから命が縮んだんだと思う)で、痩せると、いつも、
「どう? 格好良くなったでしょ?」
と称賛を求めた。
本当は、トトロみたいな玲さんがいいんだけど、とは言えなかった。拗ねると面倒だから。でも、どんなに痩せても顔面は大きなままで、骨になっても頭蓋骨はでかかった。
名古屋生まれの名古屋育ちである子ども達は、当然、もともと地元の言葉は話していたが、ここ数ヶ月で訛りがきつくなった。私はと言えば、子どもの頃から尾張の言葉しか知らない。
東京生まれ、群馬育ちの小原は、驚くほど群馬の言葉に染まっていなかった。家族全員がそうだ。理由は知らない。彼は標準語と言い、私は東京弁と言った。名古屋弁だとニュアンスが通じないこともあるので、彼と話すときは、できるだけ訛らないように気をつけていたので。
先日まで、「聞いてないよ」と言っていたのが、「聞いとーせん」になった。
彼の不在はこんな形で家族を変える。
大学院研究生のときに現れた小原さん
彼は本来、人の親になるタイプの人間ではなかったのかもしれない。過去二回の結婚でも、子どもがいないのは、自分の意思でそうなのだと言っていた。
「私、普通に結婚して、母親になりたいんです。だから、結婚に懲りてて、子どもが欲しいと思ったことない人と、遊んでる暇ないんですけど」
「懲りてないし、堀田さんが産んだ子どもなら欲しいです」
この会話で、私は退路を断たれた。ということになっている。だけど、こっちも誘導した側面は否定できない。
結構あっさりと私は、さっきまで普通の知り合いだった写真家と結婚することにした。
当時の私は大学院研究生、今で言うポストドクター、当時の言い方でオーバードクターだった。つまり、大学院に満期在籍しても行くところがない人である。応募する人事に次々破れ、その度に不思議と何やらトラブルに巻き込まれていた。
小原玲はそんなところに現れた。今までに会ったことのない人だ。普通に生きていれば、二回も離婚して、犯人の写真を撮る為に護送車のボンネットに飛び乗って、非常事態の天安門広場で戦車の前に行くようなタイプとは知り合わない。私は研究室とアパートを往復する普通の人だったのだ。そして、当時、多くの女性研究者が経験したように、周囲の男性が次々と職を得ていく中で、自分の未来に希望を持てなくなって。
この人と一緒の人生なら退屈しないだろうなあ、と思った。