ワインの海、小ネタの浜辺

戦時下でも造り続けられたレバノン・ワイン【ワインの海、小ネタの浜辺】第17話

5000年以上の歴史があるワイン造り レバノンのワイン造りには少なくとも5000年以上の歴史があるとされる。「ワイン発祥の地はどこか」という議論については近年、黒海沿岸の現在のジョージア周辺ということで落ち着いているが、…

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2022年のボジョレー・ヌーボーの解禁日は11月17日(毎年11月の第3木曜日の午前0時に解禁となる)。燃料費の高騰による輸送コストの増大、急激に進んだ円安等の影響で、今年は出来栄えよりも価格が話題になっているようだ。が、今回お話しするのは、そんな「年中行事的お祭り騒ぎ」とは縁もゆかりもない(というか、むしろ対極に位置する)レバノン・ワインについてだ。

11月18日公開『戦地で生まれた奇跡のレバノンワイン』

ボジョレー・ヌーボー解禁の翌日、1本の映画が公開になる。『戦地で生まれた奇跡のレバノンワイン』(監督=マーク・ジョンストン、マーク・ライアン/ドキュメンタリー/上映時間=95分/2020年/アメリカ)は、日本では目にする機会も稀なレバノン・ワインの造り手たちの生き様と人生哲学を追ったドキュメンタリー作品だ。映画の原題は「WINE and WAR」、我々が知るレバノンは、ブドウがたわわに実る沃野(よくや)ではなく、相次ぐ内戦と隣国との戦争で破壊され、荒れ果てた焦土ではないだろうか。そんな状況下でもワインを造り続ける人たちがいたという事実に衝撃を食らう。そして、映画の中に最重要人物として登場するセルジュ・ホシャール氏(故人)が語る「ワインは人々の心を通わせる。心が通えば平和になる。戦争にはならない」という言葉には、絶望的な状況でも希望を捨てず、前を向いて生きる人間の強さが凝縮されていて、聞く者は胸を打たれるのだ。

セルジュ・ホシャール氏(映画の場面スチール)

この映画を、僕は縁あって試写会で観た。ウクライナとロシアの戦争のこともあり、色々と考えさせられた。これを機にレバノンとレバノン・ワインについて簡単に述べようと思う。

映画『戦地で生まれた奇跡のレバノンワイン』のワンシーン

レバノン(正式名はレバノン共和国)は、中東のレバント地方に位置する小国である。南北に細長い国土は、西は地中海に面し、南はイスラエルに接している。残りはぐるりとシリアに囲まれている。この地理的条件がレバノンの命運を握ってきたと言っていいだろう。面積は岐阜県(日本の都道府県で第7位)と同じくらいで、人口は約530万人(東京都の約半分)。

紀元前にフェニキア人の交易拠点として栄え、ローマ帝国の支配下を経て、キリスト教の重要な拠点の一つになる。16世紀にはオスマン帝国に征服され、第一次大戦後にオスマン帝国が崩壊するまでその支配が続く。その後、フランスの委任統治下に置かれる状態が1943年の独立まで四半世紀のあいだ続く(このことがワインのスタイルに大きな影響を与える)。第二次大戦後は、金融、観光、農業などで経済的に潤い、首都ベイルートが「中東のパリ」と呼ばれた時代もあった。それを打ち砕いたのが75年から15年間も続いた内戦と、隣国との間でひっきりなしに繰り返される軍事衝突とテロだった。近年も政治・経済は安定感を欠き、2019年後半から経済危機に陥り、20年3月にはデフォルト(債務不履行)状態となった。

5000年以上の歴史があるワイン造り

レバノンのワイン造りには少なくとも5000年以上の歴史があるとされる。「ワイン発祥の地はどこか」という議論については近年、黒海沿岸の現在のジョージア周辺ということで落ち着いているが、トルコとシリア、そしてレバノンがそれとほぼ同じくらい古いワイン産地であることは間違いないようだ。

現在、レバノンには50~60軒のワイナリーがあるという。栽培されているブドウ品種は、赤ワイン用ではカベルネ・ソーヴィニヨン、シラー、サンソー、カリニャンなど、欧州系品種がほとんど。白ワイン用は、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランといったポピュラーな品種に加え、セミヨンのルーツと言われるメルワー、シャルドネの祖先とかつて信じられていたオバイデという在来品種がある。

先に登場したセルジュ・ホシャール氏は、1930年にベイルート郊外で創業した「シャトー・ミュザール」の2代目だが、フランス・ボルドー大学の醸造学部で学び、彼の地の栽培・醸造技術を母国に持ち帰った。彼とそのワインはイギリスのワイン鑑定家マイケル・ブロードベント氏に見出され、84年に有力ワイン誌「デカンター」で最初のマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、表紙を飾っている。内戦の只中にも、高品質のワインを造り続けたことが高く評価されてのことだ。

ホシャール氏が表紙を飾った1984年の「デカンター」誌(映画の場面スチール)

ヨーロッパの銘醸産地と比べると、レバノンは緯度が低く(アフリカ北部と同じ)、暑さと極度の乾燥が気になるが、例えば主要産地のベッカー高原(内戦中にはシリア軍が駐留、80年代以降はヒズボラの地盤の一つ)は、東西両サイドに2500〜3000m級の山脈(冬場には雪も降る)が聳(そび)え、地下水が豊富であることに加え、この高原自体が高標高であるため(標高2000mに迫る高地にもブドウが植わっている場所がある)、比較的冷涼な気候に恵まれている。年間降水量は700〜850mmだが、そのほとんどは冬場の短い期間に降り、春から秋にかけてはほとんど雨が降らない。非常に乾燥するので、ブドウがカビ系の病気や害虫に侵されるリスクが低く、オーガニック栽培が容易に実践できるという利点がある。シャブリやロワール地方と似た石灰質土壌が広がるという頼もしい要素もあり、土地選びさえ間違えなければ極めて良質のブドウが実るのだ。

余談だが、レバノンとはアラビア語で「白くなる」という意味だそうだ。山々に雪が積もった光景が国名の由来になったのかもしれない。もう一つ、レバノンの山岳部に生えるレバノン杉は樹高40mにも達する巨木である。伐採が進み、現在ではほとんど絶滅状態だが、かつては山にたくさん生えていて、古代にはフェニキア人のガレー船の材料になった。レバノン国旗にも採用され、国のシンボルだが、同時に土地の底力を示す存在でもある。

レバノンのブドウ畑(映画の場面スチール)

レバノンではクリスマスなど特別な機会に

レバノン人にとって、ワインとはどういうものなのか? 日本に暮らすレバノン人で、ワインやオリーブオイルの輸入を生業にしているエルクーリ・スヘイルさんに訊いてみた。

「その質問に答えるのは容易ではありません。ワイン造りの長い歴史があるにもかかわらず、レバノン人の一人当たりのワイン消費は年間1リットルです(筆者注:フランス人は47リットル、日本人は3リットル強)。ワインはアッパークラスの人々の間で大半が消費されています。レバノン人の約半分がイスラム教徒であるためアルコール飲料を飲まないことも考慮に入れなくてはなりません。一般的には、日曜日に家族でランチを囲むときに、人々はアニス風味の蒸留酒であるアラックを飲みます。経済破綻が起こる前は、ナイトライフにアルコールが欠かせませんでしたが、その場で飲まれていたのはウイスキー、ジン、カクテルでした。つまり、レバノンではワインは日常的に飲むものではなく、クリスマスなど特別な機会に、レバノン料理店ではない店で飲むものなのです」

レバノン・ワインも取り扱っているスヘイルさんに、「日本の人々にレバノン・ワインのどんな点をアピールしたいか?」と訊いてみた。

「長きにわたる情勢不安にもかかわらず、レバノンのワインメーカーたちはほとんど途切れることなくワインを生産し続けています。並々ならぬ情熱と決意が必要なことです。このような状況下では、輸出こそが彼らの生命線で、例えば私が取り扱っているドメーヌ・デ・トゥレールでは生産量の約7割をイギリス、スカンジナビア、アメリカに輸出しています。日本には年間約9000リットルのレバノン・ワインが輸入されていますが、これはイスラエル・ワインの輸入量の約10分の1の数字です、両者はブドウの品種も栽培される風土も、ワインの品質も似通っているのに、これほどの差がつくのは日本における認知度の差によるものと考えざるを得ません。今日では、新しい世代のワインメーカーたちがレバノン・ワインの再定義をしようと奮闘しています。テロワールに適した在来品種を再発見する動きもあります。ドメーヌ・デ・トゥレールのワインメーカー、ファウージ・イッサ氏もその一人です。ジャンシス・ロビンソン氏(極めて影響力のあるイギリス人ワインジャーナリスト)は彼のことを“新たなセルジュ・ホシャール”と評しています。歴史、紛争、高標高でのブドウ栽培、在来品種、サステナブル/オーガニック栽培、生存への探究‥‥これらはレバノン・ワインを飲んでみる良い理由かもしれません」

映画に登場する2ワイナリーの5アイテムをテイスティング

さて、ここからはワイン自身に語らせよう。映画に登場する2つのワイナリーのワイン計5アイテムを、インポーターの協賛を得て入手し、テイスティングしてみた。

まずは、レバノン・ワインの代表格と言えるシャトー・ミュザールの2アイテムから。同社はレバノンで初めてオーガニック認証を取得した造り手でもある。

シャトー・ミュザールの2アイテム

「シャトー・ミュザール・ホワイト2014」。オバイデ60%、メルワー40%。接木をしていない自根のブドウ木の果実を用い、仏製オーク樽(新樽率30%)で発酵・熟成。瓶詰め後さらに6年間寝かせてからリリース。バタースカッチ、パッションフルーツの鮮烈な香りに松葉を思わせるトーンが厚みを与える。口中を洗うフレッシュさがあるが、「キリリ」と引き締まったというよりは大らかでふくよか、陽を浴びているような暖性を感じる。

「シャトー・ミュザール・レッド2016」。カベルネ・ソーヴィニヨン33%、サンソー33%、カリニャン33%。セメントタンクで発酵、そのまま9ヶ月熟成。その後。仏製オーク樽(新樽率30%)で1年間熟成。ブレンド後さらに熟成をかけてから瓶詰め。そのまま寝かせること3〜4年でリリース。溶け込んだ黒系果実となめし革の香り。口の中では程よい厚みが感じられ、濃密なチョコレートやカシス、ドライフラワーの奥から、グロゼイユを思わせる野生味のある赤い果実の風味が閃光のように差す。

続いて、スヘイルさんの話にも出てきたドメーヌ・デ・トゥレールの3アイテム。同社は1868年創業、レバノンで最初の商業ワインの生産者である。ワインメーカーのファウージ・イッサ氏は南仏のモンペリエ大学で醸造学を学び、ボルドーのシャトー・マルゴーでも研修をしている。

ドメーヌ・デ・トゥレールの3アイテム

「メルウェ&オベイデ ヴィエイユ・ヴィーニュ2021」。メルウェ50%、オベイデ50%(メルウェはメルワーのことだが、ここではインポーター表記を採用)。和の柑橘を思わせる優しい香りにレモングラスやベルベンヌのような香りが混じる。口の中では伸びやかな酸が爽快感をもよおす。ハーブのような苦味が後口を引き締める。

「スキン by ドメーヌ・デ・トゥレール2020」。標高1500m近い高地に自生する、樹齢150年以上の古木のメルウェに実った果実を皮醸しして造ったオレンジワイン(赤ワインの製法で造る白ワインのこと)。「在来品種」「古木」「有機栽培(認証は未取得)」「野生酵母」「アンフォラ(素焼きの瓶)で発酵・熟成」「皮醸し」と、世界のワイン・トレンドのキーワードを網羅したような造り。ふくよかな酵母香の奥から紅茶キャンディーのような、甘く切ない香りが覗く。口に含むと、意外なほどドライで、チーズやブルスケッタから白身肉の料理まで、幅広い料理と合わせられそう。

「サンソー ヴィエイユ・ヴィーニュ2019」。ザクロや野イチゴ、梅干しのような酸っぱくて食欲をそそる香りに、白檀(びゃくだん)やシダーの香りが複雑味を加える。口の中ではほろりと甘い果実味とイノシン酸系の旨味が広がり、思わず笑みが。程よい酸と緻密なタンニンもあり、熟成のポテンシャルを感じさせる。

今回は、映画『戦地で生まれた奇跡のレバノンワイン』の冒頭に出てくるこんな言葉を拝借して、まとめとしたい。
〈人間がたたかっていても酵母はワインをつくる〉
噛み締めつつ、飲むべし。

ワインの海は深く広い‥‥。

※映画『戦地で生まれた奇跡のレバノンワイン』は、11月18日(金)より、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー公開。

Photos by Yasuyuki Ukita
Special Thanks to: ジェロボーム株式会社、VD’Oヴェンドリーヴ株式会社、ユナイテッドピープル株式会社

浮田泰幸
うきた・やすゆき。ワイン・ジャーナリスト/ライター。広く国内外を取材し、雑誌・新聞・ウェブサイト等に寄稿。これまでに訪問したワイナリーは600軒以上に及ぶ。世界のワイン産地の魅力を多角的に紹介するトーク・イベント「wine&trip」を主催。著書に『憧れのボルドーへ』(AERA Mook)等がある。

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