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ドイツの電子音楽グループ「クラフトワーク」の評論で使った?

Y.M.O.の人気の後押しをしたのは、テクノポップという新たな音楽ジャンルを指す言葉だった。テクノポップという言葉を誰が初めて使ったのかというと、1978年にロック評論家の阿木譲(あぎ・ゆずる)氏が、ドイツのシンセサイザー・ポップの大御所クラフトワークの評論でこの言葉を使ったとされる。

この説は多分、確かだと思われるが、高橋幸宏~ユキヒロはY.M.O.が人気になった頃、ぼくに“テクノポップという言葉を最初に考えついたのは教授(坂本龍一)だと思うよ、教授がテクノロジー・ポップの省略形テクノポップという言葉を思いついたのはY.M.O.結成前だったと思うけけどね”と語っていたこともある。

阿木譲氏は2018年にこの世を去っている。坂本龍一も現在は病気療養中。ふたり共インタビュー不可能なので、事の真偽は闇の中となってしまった。

シンセサイザーのリズムに合わせてドラムを叩いたのは世界で初めてでは

Y.M.O.の時代にはデジタル方式のシンセサイザーは存在しなかった。巨大なアナログ方式のシンセサイザーがあっただけだ。そのアナログ・シンセサイザーの打ち込みを担当~マニピュレーターという~していたのが、第4のY.M.O.のメンバーと言われた松武秀樹だった。彼とは割と親しく言葉を交わしていたので、ある時、Y.M.O.について訊ねたことがある。

“まず、リズムを作るというか、打ち込んでいくんです。そのリズムに合わせてユキヒロさんがドラムを叩くわけです。シンセサイザーのリズムに合わせてドラムを叩いたのはユキヒロさんが、世界で初めてじゃなかったかな。シンセのリズムに合わせて叩くというと簡単そうだけど、実は難しくてもの凄く正確なドラミングが必要なんです。あんなことの出来るドラマーは、当時の日本では少なかったと思います”と語っていた。

サディスティック・ミカ・バンドのメンバーで名ベーシスト、そしてレベッカなどのプロデュースや作曲家としても有名な後藤次利と仕事をした時、彼はユキヒロのドラミングを“鬼のように正確なドラマー”と語っていた。ステージで数多くのユキヒロのドラミングを観てきたが、しなやかで正確、必要で無ければ絶対にリズムを走らせない名ドラマーだったとぼくも思う。

高橋幸宏の名盤の数々

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

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