「冗談気分でやったら売れちゃった」
次に坂本龍一と逢ったのはYMO時代。その間、4、5回は逢っている。ただYMO時代は細野晴臣、高橋幸宏も同席していたので、坂本龍一とだけ個別に話せることは少なかった。それでもある時、坂本龍一と個別に話せる短かい時間を得た。ぼくは売れている~人気ミュージシャンとなった現在の気持ちを彼に訊ねた。
“売れたというのは、それは良い気分です。金銭的に少しは余裕ができたので、どんな仕事でも引き受けるのでなく、自由に仕事を選べるようになったのは自分にとって嬉しいことです。YMOは細野さんのアイデアにぼくと幸宏さんが誘われて、ある意味、冗談気分でやったら売れちゃった。まぁ、こんなラッキーも人生には転がっているということを知ったので良い勉強になりました”
そう坂本龍一は言っていた。
売れても「義理堅い奴」
YMOで売れた坂本龍一はニューヨークに移る前は、六本木など夜の街でよく遊んでいた。ぼくも六本木の深夜カフェで偶然出くわして、誘われるがままに雑談をしたこともある。かなり彼は酔っていた上に、美女を従えていた。
“日本でやれることには限りがあると思いませんか?YMOもそうだったけど、何か世界へ発信することをしたい”
その時、そう語っていたのが印象的だった。その頃、YMOはすでに散開寸前だったが、映画『戦場のメリークリスマス』、『ラストエンペラー』などの映画音楽で2度目のブレイクをする前だった。
YMOのオフィスは後にMIDIレコードを設立した故大蔵博が社長をしていた。YMO散開後、引く手あまただったろう坂本龍一は、設立間もないMIDIレコードと契約した。
ぼくと大蔵博は公私共に交際していた。
“教授は義理固い奴なんだよ。他社からの誘いがあっても、ぼくを選んでくれた。そういう武土みたいなところがある人なんだ”
ある時、坂本龍一MIDIレコードの関係について訊ねた時、そう大蔵博は語っていた。
ちなみに坂本龍一が“教授”と呼ばれるようになったのはYMO時代からで、命名したのは高橋幸宏だったとされるが定かでない。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。