「ポケットから、小鳥の足が出ておるぞ!」
宴会はまた大舞踏会をも兼ねていた。ご馳走や飲み物を出したり下げたりしているうちに、ジュールは手つかずのまま下げる皿にシャコ(水辺に棲む旨い小鳥)の丸焼きが山盛りになっているのを見つけた。山海の珍味の中で働きづめのジュールの腹は、ただでさえグーグー鳴りっ放しなのに、夢にまで見たあこがれの宮殿のご馳走が、いま手つかずのまま下げられようとしている。
誘惑には勝てなかった。素早くあたりを見回して安全を確認すると、大急ぎでシャコをポケットにねじ込んだ。あとでこっそり雛肉にかぶりつけると思うと、それだけでよだれが口からこぼれ出そうになって始末に困るほどだった。
優雅に踊る人々のあいだを縫いながら、ジュールはお盆を捧げて出たり入ったりしていた。すると突然だれかに肩を叩かれた。ふり返ってみると、な、なんと、国王陛下が立っておられるではないか。化石のようになったジュールに陛下は近づき、彼の耳にささやいた。
「ポケットから、小鳥の足が出ておるぞ!」
この瞬間のジュールのおどろきたるや、全身の血が一度に凍りつき、足許にボトリと心臓がおっこちたような気がした。
蒼白、失神寸前のジュールの脳裏に、瞬間ギロチン台の光景が浮かんで消えた。
陛下はいっそうジュールの耳に近寄り、笑いを嚙み殺した声でささやいた。
「さあ、早くどこかへ行って、その小鳥の足を胃袋に隠してきなさい。ラポアントに見つかると、あいつめ、大騒ぎをするからね」
これはド・フレール侯爵が書いた『ルイ・フィリップ伝』の中に出てくる逸話だが、陛下の政治手腕はともかく、やさしくも心温かな人柄が見事ににじみ出ている話ではないか。
(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)
夏坂健
1936(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。