ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第15話は、歴史に名を残す色事師・カサノバの食事について。はたして、あの精力絶倫な男はどんなものを食べていたのか。
夏坂健の歴史グルメ・エッセイ 第15話
一昼夜で12人の女性を抱いた男
色男の食事を想像すれば、脂肪とソースにまみれた山海の珍味。
でも実在のカサノヴァの食べ物ときたら、もう頭が痛くなりそう。
♣夜の会話はバター菓子。夜明けと共に流れだす――エジプトの諺――
何枚か残っているカサノヴァの肖像を銅版画や油絵で見た限りでは、それほどいい男とも思えないのだが、とにかく破格にモテたといえば彼をおいてほかにいない。
色事師の代名詞に使われるドンファン(ドン・ジョヴァンニ)は、北ヨーロッパ伝説の《ファウスト》に対比する南ヨーロッパの伝説上の人物だし、美男バレンチノは糖尿病で見かけ倒しだったから、やはり実戦派のドンはカサノヴァにつきるようである。
僧侶になるための修行中に身をもちくずしたジョバンニ・ジャコモ・カサノヴァ(1725~1798)は、うらやましくもごくまれに存在する精液過多症であったらしく、一昼夜に12人の女性を抱いたという記録が残されている。
放蕩三昧の尻ぬぐいに失敗したカサノヴァは、1755年、ヴェネチアの牢に入れられるが、丸1年後に脱獄、それからというものイタリア各地はむろん、パリ、ロンドン、コンスタンチノープル、マドリッド、ワルシャワ、ウィーンなど、全欧くまなく性遍歴を続けた絶倫家で、大年増に中年増、小娘に小間使い、王妃に貴族夫人、太ったの瘦せたの、破廉恥に羞恥、相手が女でありさえすればピンからキリまで、当たるを幸いの快刀乱麻ぶりだった。
晩年の13年間、ボヘミアのデュックス城にこもって執筆した『回想録』は、さながら狩猟日記といった感じさえある。
その上カサノヴァは縦横の才知に溢れていて、諸国放浪中にフリードリヒ2世、教皇ベネディクトゥス14世、エカテリーナ2世、ポンパドール夫人、ヴォルテールなど、18世紀の歴史をいろどる有名人と次々に親交を結び、当時の華麗な社交界の寵児にのしあがっていったのである。
で、カサノヴァの食生活を追跡した文献によると、彼はマカロニのパテに目がなかった男だったらしい。生卵を一ダースも立ち飲みしていそうなイメージとは大違いで、これはマカロニをつなぎの材料と一緒に型に詰めて焼くだけのブロック・パテ。
イタリアでは力仕事の労働者に愛される食べ物で、このパテの長所といったら、ただ満腹感が味わえるという1点だけ。ま、そこは考えようで、いい仕事をしたあとのけだるさと満足の仕上げにマカロニのパテは、意外に素早い回復力をもたらせてくれるのかもしれない。