ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第16話は、サディズムの語源ともなった、フランス革命期の貴族で、背徳の小説家として知られるサド侯爵が好んで食べていたものについて。
夏坂健の歴史グルメ・エッセイ 第16話
投獄されたサド侯爵が日々注文した謎のメニュー
美食と性欲の関係こそ、男子一生の研究テーマといえるだろう。まず解決すべきは「食欲が先か」「性欲が先か」これが問題だ。
♣女の脳味噌は、猿のクリームと狐のチーズで作られている――エジプトの諺――
いまでは美食が短命の原因になると信じられ、美食家たちは10日間を粗食で過ごし、11日目の1食だけを美食に捧げるようになってしまった。
としたら、ルイ14世があれほどまでに長生きしたのをどう説明したらいいのだろうか。
14世は死ぬ3日前に、舌平目とざりがにの煮込み、壺焼きの鮭、しゃこ6羽、去勢鶏6羽、鳩2羽、それに6皿のデザートを召し上がっている。しかも一説によると、20歳の乙女が同衾していたともいわれる。
この太陽王以降、美食の世界にキラ星のように《食の巨人たち》が登場するようになった。
アントナン・カレーム、エスコフィエ、ブリア・サヴァラン、グリモ・ド・ラ・レイニエール、キュシー、カンバセレース、タレイラン、フェルナン・ポアン。
こうした人脈がこんにちのポール・ボキューズ、レイモン・オリヴィエ、トロワグ兄弟まで続いている。
ところでルイ14世の末期から活発になってきた文学は、ルイ15世の愛妾ポンパドール夫人の支援もあって年ごとにすばらしい作家と作品が誕生するようになったわけだが、ここで異様なのが『ジュスティーヌ』を書いて風紀罪に問われ投獄されたサド侯爵の味に対する偏執ぶりだ。
作品『ジュスティーヌ』は、もちろんサディズムがテーマになっている。当局は貴族をバスティーユの刑務所に入れたのだが、いかにその内容が当時として刺激的だったか、想像以上のものだったに違いない。
サド侯爵は刑務所に対して、夕方になると翌日のメニューを差し出した。それは貴族にふさわしい上品な献立だったが、きまって最後のところに〔調理しない仔牛肉〕という注文が入っていた。