夏坂健の歴史グルメ・エッセイ 第13話
ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第13話は、暗殺が横行した中世、絶対権力者ほどその恐怖におびえていたというお話。
食卓で2人の臣下が殺された
料理人にとって、生きてるものをブスリとやる快感も職業上のひとつの特権といえるだろう。美食は精神を気高くしてくれる ――モンスレー――
食の歴史は、同時に暗殺の歴史でもあった。実に多くの人々が食卓で殺された。ルイ14世が30人もの「毒味係」をかかえていたのも、暗殺の不安に絶えずおびえていた証拠である。また、愛人に用のないときの国王は、〈包丁師〉も呼ばずに、たった1人で食事をすることが多かった。
〈包丁師〉というのは、大きな肉を見事に切り分けて食卓の人々に供するのが仕事で、身分の高い家では1人か2人の専門職を雇っているのが普通だった。この名残りはいまでもフランス料理店で見かけることがある。
ところがこの〈包丁師〉、食卓で堂々と刃物をふるうのが仕事だから、考えてみれば危険な存在だった。ルイ14世がたった1人で食事をしたのも、〈包丁師〉を信用していなかったためと思われる。なにしろ2人の臣下が食卓で殺られてしまったのだから、信用しないほうが当たり前だろう。
はじめはカルザス出身のクレージェ将軍だった。やはり人並はずれた食いしん坊の将軍は、こんがりと焼けた鹿肉のローストに目がなかった。
〈不慮の事故〉は、焼き上がったばかりのキツネ色をした肉塊を前にして、将軍が口いっぱいに湧いてくる唾液を音高く飲みこみながら、〈包丁師〉の手元をもどかしそうに見つめているときに起こった。
こんがりとこげた皮の、あの軽やかな歯ごたえを考えただけで、早くも口の端からヨダレが糸を引きはじめている。〈包丁師〉が鮮やかな手つきでローストを切り裂いた瞬間、肉のジュースからあふれ出た芳香があたりにただよったからたまらない。将軍はうっとりと目を細めて、首を前に突き出した。
その瞬間、不意に〈包丁師〉の手元がアブラですべって、刃先はアッという間もなく突き出されていた将軍のノドに深く刺さってしまった。手元がすべったにしては、見事すぎる直撃だった。
司法官のルナンも、アブラですべった刃先で頸動脈を一文字に切られたが、この大食漢は前に倒れながら食卓の仔七面鳥にくらいついた功績で、ルイ14世から《準国葬》の待遇をプレゼントされている。