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「同時にぴったりのメロディーが浮かんできた」

『かぐや姫さあど』の制作にあたっては、時間が押していた。南こうせつは友人の喜多条忠に1日で詞を書いて欲しいと殆ど無理を覚悟で依頼した。

そんな条件でも、無名だった喜多条忠は了承した。でき上がったのは、喜多条忠がかつて住んでいた東京の神田川そばのアパートをモチーフにした詞だった。メールはもちろんのこと、FAXも一般家庭には無かった時代だったので、喜多条忠は南こうせつに電話して、詞を書き取ってもらった。

そのことを後に南こうせつはぼくにこう語った。“喜多条さんから電話があって、待っていたぼくは、彼が話す言葉というか詞をメモしていったんだ。不思議なのは「あなたはもう忘れたかしら…」と記すと同時にぴったりのメロディーが浮かんできた。それから5分後には曲がすべてできていた。あとはヘッド・アレンジでやろうとスタジオに飛び込み、あっという間に完成したんだよね。

普通、編曲~アレンジというと編曲に頼んで楽譜にしてもらい、それをスタジオで演奏する。ヘッド・アレンジはミュージシャン同士がスタジオ内でアイデアを出しながら、そのままアレンジしていく手法だ。あの印象的なバイオリンのイントロは、南こうせつが木田高介に出したアイデアだった。こうして「神田川」は時間にしてわずか1日で完成した。その1日が、その後の南こうせつの音楽人生を変えると誰が予想できたろう。

南こうせつの名盤の数々

すべては偶然だった

すべて偶然。まるで音楽の神のいたずらだった。

無名だった友人の喜多条忠に詞を頼むという偶然。5分で曲ができるという偶然。喜多条忠が神田川近くのアパートに住んでいたという偶然。そして、スタジオに芸大学出身の木田高介がいたのも偶然。木田高介は、交通事故で31歳の若さで亡くなった。生きていたら坂本龍一級のスター・ミュージシャンになっただろうと言われる。

それらすべてが、かぐや姫~南こうせつに重なり「神田川」が完成したのだ。かぐや姫は「神田川」の大ヒットにより、“寝る暇もないほど忙しかった”という状態になる。グループはそういった重圧や個々の複雑な思いが重なって、1975年4月の解散へ歩み始める。そして「神田川」は作者の南こうせつへも重圧となっていった。

南こうせつ、かぐや姫の名盤の数々

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

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