気功の治療院を開設した元ディレクター
ぼくが南こうせつと数多くインタビューするようになったのは、1980年代過ぎで、ソロのライヴで「神田川」が“解禁”された後だ。かつてFM東京(現TOKYO FM)に葛西幸雄という名ディレクターがいた。フリーでFM東京の仕事をする前は、ニッポン放送のフリーディレクターや構成者だった。通称“フォークの葛西”と呼ばれ、数多くのフォーク・ミュージシャンと親交があった。
「TOKYO FM」など全国のFM放送局が加盟するラジオネットワークのJFN(ジャパンエフエムネットワーク)が1981年に設立された時、葛西幸雄は黎明期のJFNに尽力した。ぼくを初めて5時間の深夜の生放送のDJに抜擢してくれたのも彼だった。フォーク関係のミュージシャンとの親交が深いので、泉谷しげる、さだまさし、岡林信康、南こうせつなどを番組プロデューサーとして次々にゲストに招いてくれた。葛西幸雄は人情に厚く、一本気な男だった。フォークを愛していた。
J-Popが産声をあげた時、葛西幸雄は“もう自分の時代は終わった、音楽と一緒に研究していた気功を職業にする”と言って、ラジオの仕事をすべて引退した。そして、東京は青山に気功の治療院を開設した。
「気に満ちている。こんな気の強い人とは逢ったことがない」
1990年代中期、ぼくが出演したスカイパーフェクTVの番組に南こうせつが出演することになった。折に触れて葛西幸雄とは連絡を取っていた。彼が良く知るミュージシャンが出演する度に連絡して、スタジオに遊びに来てはと誘った。が、自分はもう現役で無いから行かないと返事が返って来る。
葛西幸雄がただ一度、スタジオを訪問してくれたのが南こうせつの出演時だった。葛西幸雄は旧友の南こうせつの身体に軽く触れ、次に手のひらを合わせた。
“こうせつは凄いよ。気に満ちている。いろいろと患者と手のひらを合わせるけど、こんな気の強い人とは逢ったことがない。お前(南こうせつ)なら気功師としてもやっていける”
そう葛西幸雄は言った。
ぼくは気功をそう信じていたわけでは無いが、葛西幸雄と手のひらを合わせると身体の奥がジーンとすることは信じていた。南こうせつは気功師が驚くほど気があふれている。その話は信じた。オーラとはどこか異なる気があふれている。南こうせつを直接知る人なら信じられると思う。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。