おとなの週末的クルマ考

小学校のマドンナ先生と早坂優!? 初代スズキセルボは記録よりも記憶に残る軽自動車!!

初代セルボはフロンテクーペの進化版 日本独自のカテゴリーである軽自動車は細かく規定変更されてきたが、1975年(昭和50年)に全長3.20(3.00)m、全幅1.40(1.39)m、排気量550(360)ccとなったのが…

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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第7回目に取り上げるのは、美しいデザインが魅力的だった初代スズキセルボだ。

1960年代後半から軽自動車革命が勃発!!

日本の独自のカテゴリーである軽自動車は、ホンダの軽自動車によって2つの変革を迎えた。ひとつは1967年にホンダがN360を登場させた後に勃発したハイパワーウォーズで、各社がこぞってパワーを競った。1970年にダイハツフェローマックスが40馬力をマークして一段落しものの、軽自動車の高性能アピールは排ガス規制まで続いた。

もうひとつが軽自動車のデザイン革命とでもいうべき潮流で、こちらは1970年に登場したホンダZが火付け役となった。性能はもちろん、見た目もスポーティに変貌し、軽自動車のスペシャルティ化が顕著になった。ちなみに日本初のスペシャルティカーは初代トヨタセリカと言われているが、ホンダZは初代セリカより2カ月早く発売されていたため、実は日本初のスペシャルティカーはホンダZだったりする。

1970年にデビューしたホンダZが軽自動車のスペシャルティ化に火をつけた

この潮流の下、1971年にスズキが登場させたのがフロンテクーペだった。イタリアデザインの巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロ(1938年~)が手掛けたデザインは、それまでの軽自動車のデザイン概念を超越したもので、日本の軽自動車でも最高傑作と言われるクルマだ。バイク譲りの2ストロークエンジン、ハンドリングを重視したリアにエンジンを搭載して後輪を駆動するRRレイアウト、低いボンネット、流麗なルーフラインは今見ても斬新だ。

そして1976年に排ガス規制に適合できず販売を終了したフロンテクーペの後継モデルとして1977年にデビューしたのが初代セルボだったのだ。

ジウジアーロがデザインしたフロンテクーペは低いボンネット、穴あきのフェンダーミラーステー、ブラックアウトされたルーバーなどデザインへのこだわりが凄い

初代セルボはフロンテクーペの進化版

日本独自のカテゴリーである軽自動車は細かく規定変更されてきたが、1975年(昭和50年)に全長3.20(3.00)m、全幅1.40(1.39)m、排気量550(360)ccとなったのがトピック。カッコ内の数字は旧規定で、全長で20cm、全幅で10cmボディが大型化され、排気量の上限が360ccから550ccにアップされた。

1977年デビューの初代セルボも当然ながら新規格のボディ、エンジンが与えられた。実際に全長3190×全幅1395×全高1210mmのほぼ新規定いっぱいのボディサイズは、全長2995×全幅1295×全高1200mmのフロンテよりも大型化されている。

全幅が100mm広げられたため、フロンテクーペよりもワイド感が顕著。バンパーも大型化されている。角型のフォグランプはフロントグリル埋め込みタイプとなった

基本デザインはジウジアーロがデザインしたフロンテクーペを踏襲しているが、各所に変更が加えられている。なかでも、全幅が100mm広くなったことで数字以上にワイド感が強調されている点は特筆だ。フロンテクーペでは角型ヘッドライトだったが、初代セルボは丸型ヘッドランプとなり、フロントグリル埋め込みタイプのフォグランプによりフロントマスクのイメージはかなり違う。フェンダーミラーはフロンテクーペが穴あきのステーを採用するなど凝っていたのに対し、初代セルボはよく言えばシンプルだが、コストダウンされていた。

リアに目を移すと、デザインは基本的に同じながら初代セルボのリアコンビはバックランプを内蔵するなど進化。そしてフロンテではめ殺しだったリアウィンドウは初代セルボではガラスハッチの採用により開閉可能となり利便性を高めていた点も大きな違いだ。

あと、フロンテクーペはデビュー時に2シーターの2人乗りで後に2+2の4人乗りに変更。そのリアシートは狭く補助的だったのに対し、初代セルボはホイールベース(前輪の中心と後輪の中心の長さ)が延長されたこともあり、リアシートの居住スペースは大幅に改善された。

リアコンビはバックランプ内蔵となったほかはデザインは基本フロンテクーペと同じ。開閉可能なリアのガラスハッチの採用で使い勝手は格段に進化した

初代セルボが登場した1977年といえば、軽自動車革命も一段落し、各メーカーの最大の開発テーマは排ガス規制への適合となっていたなか、初代セルボの直列3気筒の2ストロークエンジンは、排気量を539ccにアップして新開発されたもので、昭和53年(1978年)排ガス規制をクリア。

エンジンスペックはフロンテクーペが37ps/4.2kgmのハイスペックがウリだったのに対し、初代セルボは28ps/5.3kgmとパワーダウンしているが排気量増によるトルクアップで街中での扱いやすさを手に入れた。

駆動方式は、フロンテクーペを踏襲するRRレイアウトで、トランスミッションは4速MT(マニュアルトランスミッション)のみ。

小学校の先生が初代セルボを買って妙に意識

ここまで読んでいただければ、初代セルボはデザインこそフロンテクーペを踏襲しているが、キャラクターは大きく違うことがおわかりだと思う。そう、フロンテクーペはスポーティで硬派でとんがっていたのに対し、初代セルボは実用性を重視とずいぶん丸くなった。

当時のリリースを読み返すと、初代セルボのターゲットユーザーは女性とヤングファミリーをターゲットにしていると明記している。デビュー時のキャッチコピーは、『愛らしく、小粋に。』というもので、イメージキャラクターには初代ミスアメリカで、日本で女優・モデル活動をしていたダイアン・マーチンを起用し、オシャレな軽自動車であることをアピールしていた。

フロンテクーペは2+2だったが、初代セルボはホイールベースの延長によりリアシートの居住性が大幅に改善された。フロントのシート地がオシャレ

初代セルボがデビューした時に私は小学生だったが、私の地元でもよく見かけた。やはり買っていたのは女性だった。

女性をターゲットにした軽自動車なのに、トランスミッションは4速MTのみ? と若い人は疑問に思うだろうが、自動変速のAT(オートマチックトランスミッション)が一般に普及し始めたのは1980年代以降で、クルマ=MTが当たり前だった。スズキは1980年に2速ATをアルト、フロンテには設定したが、セルボは見送り2代目で初設定。まぁATがあったとしても、2速ATじゃ坂道を登らないしタルいのでMTを選ぶ女性も多かった。

こちらは1982年に登場した2代目セルボ。初代に比べてシンプルなデザインとなった。初代は4速MTのみの設定だったが、この2代目で2速ATが設定された

近所のお姉さんも買っていたが鮮烈に覚えているのは、私の小学校で一番若く美人だった”マドンナ先生”が初代セルボを新車で買ったことだ。赤が好きだったその先生は、当然イメージカラーの赤いセルボ。田舎の学校ゆえ、先生のほとんどはクルマまたはバイクで通勤していたが、マドンナ先生+初代セルボは、少々恥ずかしい表現ながら、見るだけで胸がキュンとした。その先生が担任のクラスの生徒は放課後にクルマに座らせてもらったりしていたのがそうじゃない私からすれば羨ましくて羨ましくて、自分の担任じゃないことを恨んだ。そんな鬱積した気持ちがあったからか、しばらくは街中で見かけるセルボを過剰なまでに意識していたように思う。

クルママンガで初代セルボ熱が再燃

そんな純真な小学生時代ではあったが、熱しやすく冷めやすい性格ゆえすぐに忘れて、私の興味の対象外となったセルボ。しかし、あることがきっかけで熱中することに!!

それは80年代のクルママンガの『よろしくメカドック』(次原隆二、1982~1985年・週刊少年ジャンプ)だ。『サーキットの狼』でスーパーカーの魅力を叩き込まれ、『よろしくメカドック』でクルマのチューニングというものに目覚めた人は多いはず。当然私も例外ではなくハマった。

その『よろしくメカドック』が『週刊少年ジャンプ』で連載が始まった頃私は高校1年生だったが、仲間内で話題になるようになったのは高校2年生の頃。で、その作中に登場する早坂優ちゃんが、乗っていたのが初代セルボだった。優ちゃんは警視庁交通化の女性交通巡視員で、初代セルボは彼女が交通巡視に使うミニパト。ドアに警視庁のロゴが入っている白黒パンダカラーの初代セルボ、よかったなぁ。これで存在すら忘れていた初代セルボが私の中に一気に甦った。ミニパトのチューニングを主人公に依頼する、という破天荒さとカワイさのギャップに萌えたね。

『よろしくメカドック』の早坂優のミニパトに初代セルボを選んだ次原先生のセンスに脱帽。当時プラモデルも発売されて人気

初代セルボは1982年6月に販売を終了し、2代目に切り替わった。つまり『よろしくメカドック』の連載が始まった1982年後半の時点ではすでに2代目が販売されていたにもかかわらず、敢えて初代が選ばれたのは、初代セルボが”絵になるクルマ”だったという証だと思う。

初代セルボは、1977~1982年の4年8カ月で約8万5000台を販売したと言われている。バカ売れしたわけでもないし、不人気車だったわけでもないと思う。その初代セルボの販売は1979年に47万円の低価格を大々的にアピールしてデビューした初代アルトの存在は無視できない。税制面で優遇されていた「軽ボンネットバン」だったこともありメガヒットを飛ばした。女性をターゲットとした初代セルボもかなり食われたのは間違いない。

初代セルボは販売台数や動力性能といった数字よりも、デザインをはじめとするインパクトで爪痕を残したクルマと言えると思う。

【初代セルボCXG主要諸元】
全長3190×全幅1395×全高1210mm
ホイールベース:2030mm
車重:550kg
エンジン:539cc、直列3気筒(2サイクル)
最高出力:28ps/5000rpm
最大トルク:5.3kgm/3000rpm
価格:60万8000円(4MT)

【豆知識】
初代アルトは1979年にデビュー。現在もアルトはスズキの主力モデルとして販売されていて、現行モデルが9代目。初代は47万円という低価格が衝撃的だったが、軽ボンネットバンという新ジャンルを構築したことでも有名。当時軽乗用車は新車購入時に物品税(15.5%)が課せられていたのに対し、軽ボンネットバンは物品税が非課税(後に5.5%)と優遇されていたこともあり大ヒット。初代アルトの登場後に各メーカーが軽ボンネットバン市場に参入した。いいものを安く、というスズキのポリシーを具現化したクルマだ。

1979年にデビューした初代アルトは軽ボンネットバンという新ジャンルのパイオニア。47万円という低価格に加え税制面で大きく優遇されていたこともあり大ヒット

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/SUZUKI

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