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マイナーやウインターリーグでも投げ続けた

そんな大記録を残した野茂の一番の功績は、後に続く日本選手たちの道しるべとなったことだろう。数々の打撃記録を打ち立てたイチローもワールドシリーズMVPに輝いた松井秀喜(49)も、そして今日、大谷が二刀流でプレーできるのも、野茂がメジャーリーグの扉をこじ開けることなしには、ありえなかったと思う。

選手生活晩年はたびたび肩、肘の故障に見まわれ、なかなかメジャー契約を勝ち取れないこともあった。それでもマイナーリーグやウインターリーグで黙々と投げ続け、メジャーのマウンドに立つことにこだわり続けた。2008年、40歳での現役引退に際して野茂は「引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る」(日刊スポーツ2008年7月18日)と言った。

「悔い」とは生涯一投手としてボロボロになるまで、投げ続けていたかったということだろう。メジャーリーグのマウンドに立ち続けることにこだわった野茂らしい引退の言葉だった。

ドジャー・スタジアム  Steve Cukrov@Adobe Stock

野茂=ドジャースから20年後、大谷がドジャースで登板する日は…

「ジャーニーマン」(熟練の技能を有した流しの職人の意。ここでは、経験が豊富でチームを渡り歩く選手のこと)とも称され7球団を渡り歩いた野茂は、12年のメジャー生活のうち、計7シーズンをドジャースでプレーし、勝ち星も81勝と半分以上挙げている。野茂=ドジャースの印象は強い。

野茂は2002年のシーズンからドジャースに復帰し、2004年まで在籍した。それから、20年---。

2024年、そのドジャースで活躍する大谷は、今シーズン、右肘の手術明けで打者に専念している。復帰登板は、来年2025年の見通しだが、手術の執刀医は予定通りの投球プログラムをこなせば今年9月最終週にも実践形式で登板できることを語ったという。

全米を熱狂させた「あの時」の野茂と同じドジャーブルーのユニフォームに身を包んだ大谷。ドジャー・スタジアムのマウンドで躍動する姿が待ち遠しい。

ドジャー・スタジアムと、ロサンゼルスの街並み trekandphoto@Adobe Stock

石川哲也(いしかわ・てつや)
1977年、神奈川県横須賀市出身。野球を中心にスポーツの歴史や記録に関する取材、執筆をライフワークとする「文化系」スポーツライター。

Adobe Stock(トップ画像:4kclips@Adobe Stock)

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