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秀吉恩顧の大名で最も長生きした

福島正則は秀吉恩顧の大名のなかでは、最も長生きで、寛永元(1624)年7月に亡くなります。その2カ月後には、高台院にておねが亡くなり、豊臣時代の完全な終焉となるのです。

広島城天守閣 Photo by Adobe Stock

【広島城】(別名・鯉城[りじょう])
天正17(1589)年、毛利輝元が太田川の三角州に築城した典型的な平城。瀬戸内海の交通を押さえる狙いがあり、完成までに10年を要したといわれる。望楼型の五重五階の天守を持ち、120万石の大大名にふさわしいものだった。関ヶ原の戦いで毛利は西軍につき、輝元は萩に減封、代わって福島正則が入城し、整備と城下町作りを進める。その後、幕府に無断で石垣を作ったとして改易、浅野氏が入って明治まで治めた。国宝だった天守は原爆で全壊、現在の天守は昭和33(1958)年に再建されたもの。
天守閣開館時間:9~18時(3~11月)、9~17時(12~2月)
料金:大人370円、65歳以上と高校生180円、中学生以下無料
住所:広島市中区基町21−1
電話:082ー221ー7512

【福島正則】
ふくしま・まさのり。1561~1624年。桶屋の長男として尾張国に生まれる。母が秀吉の叔母であったことから秀吉に仕え、小姓となり数々の武功を上げる。猪武者の代表のようにいわれるが、領民には優しく善政を敷き、広島城明け渡しの際も堂々と振る舞ったとされる。黒田長政の家臣、母里太兵衛(もりたへえ)との酒の飲み比べで、秀吉から拝領した名槍「日本号」を取られた逸話は有名。

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を15年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

松平定知さん

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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