『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。
京極氏の譜代家臣
小谷城は天守も城郭もありませんが、戦国大名として知られる浅井長政(あざいながまさ)の居城であり、お市の方との悲劇の舞台として知られます。
もともと浅井氏は北近江を治める京極氏の譜代家臣でしたが、京極氏のお家騒動に乗じて戦国大名に成り上がっていったと考えられています。
浅井亮政が築城
小谷城を築城したのは浅井長政の祖父・浅井亮政(あざいすけまさ)です。城ができたのは大永3(1523)年頃と考えられています。毛利元就が家督を継いだのが同じ1523年ですから、戦国のかなり初期です。
北近江で勢力を拡大する浅井亮政に対抗し、圧迫したのが近江の守護大名だった六角定頼です。当時の近江は美濃や尾張とともに最も争いが激しいところでした。六角氏に対抗すべく浅井亮政のとった政策が、越前の朝倉氏との同盟でした。
「野良田の戦い」で撃破
浅井氏の勢力も亮政の嫡男、久政の代になると、武勇に優れないこともあって衰えます。一時は六角氏の攻勢に押され、隷属させられてしまいます。この久政の弱腰に業を煮やして戦いを挑んだのが、子の長政です。
永禄3(1560)年、浅井久政・長政軍1万1000が、六角義賢(ろっかくよしかた)軍2万5000と、現在の彦根市野良田(のらだ)で激突。世に言う野良田の戦いが起こります。はじめは圧倒的に数で有利な六角氏が押し込みますが、勇猛な長政の活躍で六角氏を撃破。浅井氏は六角氏からの独立を勝ち取ります。これで名門六角氏は衰えていきます。