ファックス番号と電話番号を間違えたのがすべての始まり たびたび自著の宣伝となって恐縮ではあるが、10月下旬に『鉄道員(ぽっぽや)』に続く第二短編集『月のしずく』が刊行された。 書物の出版というものは一種の文化事業であるか…
画像ギャラリーバブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第128回は、「ふたたび真夜中の伝言について」。
作家の生活を一変させたファックスという文明の利器
わが家の2階には6畳大のふしぎな部屋がある。
白い壁紙を貼りめぐらせた日当りのよい一室なのであるが、どことなく冷ややかで無機質で、そのくせ真夜中でもざわめきや小さな悲鳴が絶えない。
近ごろではこういうふしぎな部屋をお持ちのご家庭は多いと思う。
壁回りに、まずパソコン。業務用と家庭用のファックスが2台。電子ピアノ。そして電動式仏壇。これがわが家におけるこの部屋の住人たちである。そう、ごく最近、自衛隊の同期生有志から機密保持のためのシュレッダーが贈られ、この部屋のメンバーに加わった。
もちろんそれらの多くは、私の仕事の合理化のために設置せられたものなのであるが、当の本人はいまだ1階の書斎で、文机(ふづくえ)に原稿用紙を拡げ、古色蒼然たるスタイルで万年筆をふるっている。
誠に遺憾(いかん)ながら私は徹底的な機械オンチで、彼らを制御することはまったくできない。もっともそんな私だからこそ、彼らから授かる恩恵もまた大きいのであるが。
ことに、私はファックスという機械を尊敬している。
いったいどういう仕組みなのかは知らんが、文字や図柄が電話線を通じて電送される。この利器の登場により、小説家が授かった福音(ふくいん)ははかり知れない。
第一に、原稿の受け渡しが瞬時にして行われるので、編集者と無駄話をせずにすみ、旅先からでも行方不明中の謎の場所からでも、何ら支障なく連載小説を送ることができる。その結果、多くの旅先作家、地方在住作家、海外居住作家が出現することになった。ファックスは小説家に人間的解放をもたらしたのである。
第二の利点として、いちいち電話の応対をする必要がなくなった。原稿が一段落ついたときにファックスを覗けば、連絡事項はちゃんと文書になって配達されている。しかも、それらをファイルしておけば約束事を忘れることもなく、記録にもなるのである。
第三に、連絡の時間帯というものをまったく気にする必要がない。夜中だろうが明け方だろうが、書き上がった原稿を送ってしまえば仕事はおしまいで、一方の編集者たちも夜中だろうが明け方だろうが、連絡事項を送ってさっさと帰宅してしまえばよい。ともに不規則な時間割で生活をしている私たちの業界で、このコミュニケーションのありかたは積年の夢であったといえよう。
あらゆる物品の購入に関して、極めて慎重かつ吝嗇(りんしょく)であるはずの私が、わが家の一室に最新鋭業務用ファックスを導入した理由は、ひとえにこの利器に対する尊敬の念からであった。
というわけで、版元音羽屋に関連業者を紹介してもらい、身内価格をさらに値切り倒してこの最新鋭機を買ったのであるが、実のところ機械が上等すぎて、何が何だかわからんのである。
ために、かつて本稿でも書いたが、真夜中にアイ・バンクの留守電にアクセスしてしまい、「ご遺体についてのご連絡は……」などというコメントに慄(ふる)え上がったこともあった。
実は先日、この機能の複雑さのためにまたしても失敗をやらかしてしまった。過ぎてしまえばけっこうおかしいので、まあ聞いてくれ。
ファックス番号と電話番号を間違えたのがすべての始まり
たびたび自著の宣伝となって恐縮ではあるが、10月下旬に『鉄道員(ぽっぽや)』に続く第二短編集『月のしずく』が刊行された。
書物の出版というものは一種の文化事業であるから、刊行の前後にはさまざまな伝統的儀式が行われる。
まず、刊行日の数日前に見本が刷り上がると、担当編集者が作家のもとに持参し、手渡す。このときの神聖な雰囲気は、あたかも母親が生まれたばかりのわが子を父の手に托す場面のようである。
いわば「上梓の儀」であるこの行事は決して粗略にしてはならず、これによって作家と編集者の長い苦労は完結するのである。
さて、『月のしずく』の刊行日を間近に控えて、フランス旅行から帰ったばかりの私は仕事の山と格闘しており、担当編集者もまた多忙をきわめていた。しかし「上梓の儀」はどうしてもないがしろにはできないので、畏(おそ)れ多くも文芸担当部長が御自ら拙宅に見本を持参して下さる、ということになったらしい。
その旨のファックスを受けとって甚(はなは)だ恐縮したのであるが、あいにく指定なさった翌(あく)る日は私の方に先約の予定があった。しかもそのファックスに気付いたのは私が深夜に帰宅した折のことで、ものの10時間後には文芸部長が見本をたずさえておいでになる、というわけだ。
周章狼狽(しゅうしょうろうばい)した私は、ともかく期日の変更を希望する旨(むね)のファックスを部長のご自宅へと送った。時刻は真夜中の2時すぎであった。こういうときファックスは便利なのである。
ところが、最新鋭ファックスの取り扱いに慣れていない私は、オロオロとしたあげくに部長宅のファックス番号ではなく、電話番号を押してしまった。
長いコールの間に、おのれの失策に気付いた。あろうことか私は真夜中の2時すぎに、寝静まった部長宅に電話をかけてしまったのである。
「……もしもし」と、やがてファックスのスピーカーから部長の不穏な声。
これはいかん、どうしよう、とうろたえるうちに、間違い電話だと思ったのかブッツリと切れた。
改めてメッセージをセットし、ファックスのボタンを押したのであるが、これがなぜか作動しない。そうこうするうちにものの5分後、こんどは機械が勝手に先方の電話をコールした。
「……もしもし、どなたですか?」と、再び部長の不穏な声。こうなると気の弱い私は、受話器を取って申し開きをする勇気がなくなってしまい、ともかくこの事態を何とかしようと、やみくもにボタンを押した。
しかし機械は私の意に反して、5分ごとに先方の電話をコールし続けるのであった。
要するにこの最新鋭業務用ファックスは、連絡内容が先方にプリントアウトされるまで、執拗(しつよう)にコールし続けるという恐怖の機能を搭載していたのである。すべては私が起動時にファックス番号と電話番号を押しまちがえたからであった。
もちろん、そうしたミスを回復する機能もあると思う。送信を中断することも当然できると思うのだが、私にはできないのだから仕方がない。
「……もしもし」と、律儀な部長は5分ごとに鳴り続ける電話にいちいち応対して下さる。回数が重なるほどに、私はいよいよ受話器を取って申し開きをする勇気が失(う)せ、ひたすら脂汗をかきながら分厚い取扱説明書をめくり続けた。
そのうち先方のご家族が起き出してくる気配なども伝わり、もちろんわが家の家族も目を覚ました。1時間にわたるパニックののち、わが家の唯一の理科系である娘の「バッカじゃないの」という指示により、ファックスの電源は切られた。
その後、娘にこんこんと説教をされた。
わが家系に奇蹟のごとく出現した理科系受験生は言うのである。
「これがファックスじゃなくて核弾頭のボタンだったら、どうするつもりなの。エラーじゃすまないのよ。機械がどんなに優秀になっても、それを起動させるのは人間だということを忘れてはいけません」
はい。おっしゃる通りです。もし私が核兵器の管理者であったのなら、全世界が破滅してもなお、ICBMは勝手に飛び続けていたことになる。
こうして私は、おのれが最新鋭ファックスを取り扱う資格のない愚かな人間であると思い知った。この点について文科系的に言うならば、尊敬すべきものはひそかに愛しこそすれ、決して手を触れてはならぬのであろう。
あの夜、謹厳な部長のご家庭に降って湧いた災難を、私は知らない。ちょっと無責任だけど。
(初出/週刊現代1997年11月15日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。