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二度目の代用食

滞在3日目の11月1日は、民需転換した昭和電工の富山工場や、魚津駅で“早場米”の貨車積込み(出荷状況)などを視察された。昼食は、滑川町立田中小学校でとられたが、この日も朝食ともに献立は残されていなかった。意図的に残さなかったのか、残すほどの献立ではなかったのか。今となっては知る由もない。

夕食は、代用食として「手打蕎麦」が出され、このほかには御汁(似鱚摘入)、紅葉焼鴨、天婦羅(海老、卸し)、蟹友和(かにともあえ)、作り身・塩の子、御菓子(月世界)とあった(読み仮名以外は原文ママ)。“蟹友和”は、かにのむき身と蟹味噌をあえたもので、お刺身(作り身・塩の子)は氷見灘漁業合同組合から献上されたものだった。お菓子の「月世界」は、今も富山銘菓として販売されている。

1947(昭和22)年11月1日の夕食献立=資料/宮内公文書館蔵

帰りの列車内では、「鰻」を召し上がる

11日間の北陸三県訪問を終えた昭和天皇は、11月2日午前7時50分発のお召列車で、帰京の途についた。昼食は、往路では通らなかった飛騨地方の山間部を走る高山本線の車中で召し上がった。ここでも、何を食べたかは記載されていなかった。

お召列車は岐阜駅を経由し、名古屋、豊橋と東海道本線を東上した。途中の浜松駅では、機関車の交換作業中に夕食が積み込まれた。どこの料理人が作ったかまでは記されていなかったが、献立は残されていた。御汁、御向(被庵焼甘鯛)、御参皿物(鰻)、御椀物(つぐみおとし、おろし志ぶ、菠れん草、松茸)、御口取(柚みそ、岩たけ、千口子、火取芉、くるみ豆ふ)、御中皿盛(鴨くわ焼)、御焼物(鯛)、御果物(明月、房有柿)、御茶(原文ママ)。このなかには。昭和天皇の好物とされる「鰻」が登場する。実は、今回の訪問先の一つであった敦賀市内の旅館で、夕食に「蒲焼鰻」が出されていた。昭和天皇の鰻好きは、このときからなのか、すでに定着していたのか。謎解きは続く。

1947(昭和22)年11月2日、車中での夕食献立=資料/宮内公文書館蔵

文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。

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