モータースポーツで活躍
スタリオンの特筆点としてはモータースポーツでの活躍は無視できない。スタリオンは国内外のラリーで活躍したほか、アメリカでは耐久レース、日本国内ではツーリングカーレースに投入され活躍。
特に当時大人気だったグループA規定の1985年の全日本ツーリングカー選手権の『インターテック』でデビューして以来、1988年に撤退するまで3勝を挙げるにとどまったが、いくつもの名勝負を演じた。
悲運のマシン
三菱は1981年代に入って国際ラリーフィールドに復帰。WRC参戦マシンはランサーEXターボだったが、三菱ワークスの次期WRCマシンとして開発が進められたのがスタリオンターボだった。
1980年にWRCに投入されたアウディクワトロによってWRCは4WDが大きなトレンドとして注目されていた。そんなこともあり、市販モデルはFRながらスタリオンは4WDの開発が積極的に行われていた。
実際にスタリオンをベースとしたグループBマシンが開発され、三菱はスタリオン4WDラリーを正式に公開してWRCの実戦に投入されるのは時間の問題となっていたが、あまりにも速くなりすぎたマシンによって死亡事故が多発したことを受け1986年限りでWRCはグループBが廃止となってしまった。スタリオン4WDラリーはフランスのミルピステラリー、香港北京ラリーなど数戦の海外ラリーに参戦したが、WRCには実戦投入されなかった悲運のマシン。
ランエボシリーズの礎
スタリオン4WDラリーは、WRCに投入されなかったため幻のグループBマシンに終わってしまったが、スタリオン4WDラリーで培った技術が、後の登場するギャランVR-4、ランサーエボリューションシリーズへと受け継がれていった。
競技にも投入されず、市販モデルのスタリオンにも4WDは設定されなかったが、間違いなくランエボシリーズの礎と言える。
三菱の実用4WDの元祖がジープ→パジェロの流れにあるとすれば、スポーツ4WDの元祖は間違いなくスタリオンということになるだろう。
その意味でスタリオンは販売面では直接三菱というメーカーに大きく貢献はできなかったかもしれないが、非常に重要なモデルだったのだ。
【三菱スタリオン2000ターボGSR-III主要諸元】
全長4400×全幅1685×全高1320mm
ホイールベース:2435mm
車両重量:1230kg
エンジン:1997cc、直列4気筒SOHCターボ
最高出力:140ps/5500rpm
最大トルク:22.0kgm/3000rpm
価格:235万5000円(4MT)
【豆知識】
ギャランとしては3代目となるΣ(シグマ)とコンポーネントを共用。Σが4ドアセダンだったのに対しΛ(ラムダ)は2ドアスペシャルティクーペ。スラントノーズに日本車初となる角4灯ヘッドライトを装備。スッキリとしたデザインで大ヒットとなった。車名のΛは英語のLに匹敵する文字で、ラグジュアリー(Luxury)の意味が込められている。初代は1976~1980年、2代目は1980~1984年の2代限りで消滅。販売店違いによるエテルナΛも存在する。クライスラーブランドではダッジチャレンジャー、プリムスサッポロとして販売された。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/MITSUBISHI、ベストカー