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ルシーダ/エミーナが大人気

ルシーダはカローラ店、エミーナはトヨタ店で販売された兄弟車で、フロントマスク、リアコンビなどで差別化されていた。3ナンバー登録ということで、当時のライバルだった日産バネットセレナよりも自動車税は高かったが、それは足枷にならずエスティマが欲しいけど泣く泣く購入を断念していた人たちが一気に飛びついて一躍大ヒットモデルとなった。

エスティマからルシーダ、エミーナが派生したのだが、後発のルシーダ/エミーナが大人気となったことで、トヨタは元祖エスティマをワイドエスティマ呼ぶようになったのは、主役の座が移ったことを意味していたのではないだろうか。したたかなトヨタだから、最初からエスティマは日本では売れないと踏んでいて、日本向けのルシーダ/エミーナこそ大本命だったのではないか。このルシーダ/エミーナのようにかつては日本向けのモデルがいろいろあったが、時代の流れとは言え今では日本マーケット向けのクルマが少なすぎるのが寂しい。

同じ4灯ヘッドライトでも若干形状が違う。こちらはエミーナ

エスティマは常にミニバン界の革命児

本家エスティマは2.4Lのスーパーチャージャーエンジンを追加しても販売面での大きな変化はなかった。ただ売れなかったが、その存在感は相変わらずの唯我独尊。大井いのが嫌で手ごろな価格で買いたい人はルシーダ/エミーナだったが、本家を乗っている人は、大きいことを喜びに感じお互い大満足の両者ウィンウィン。

デザインと新たな発想で確実に爪痕を残した初代エスティマだったが、2000年に2代目モデルへとバトンタッチ。

この2代目はフロントマスクにシャープさが加わり大ヒット。そして、世界初のハイブリッドミニバン、エスティマハイブリッドを登場させるなど、常にミニバン界のトレンドリーダーとして君臨。

2代目エスティマには世界初のハイブリッドミニバンが設定されて世界を驚かせた

2020年にシリーズ消滅

2006年には3代目エスティマが登場。こちらは3回のマイチェンにより4種類のフロントマスクが存在するなど2020年まで販売が続けられた息の長いモデルだった。モデル末期でも2000台レベルで販売を続けたモンスターだったが、2020年限りでエスティマのビッグネームは消滅。インパクト抜群のデザインで登場した初代から30年続いた歴史に終止符を打つことになった。

今でこそトヨタのミニバンのリーダーはアルファード/ヴェルファイアだが、エスティマ復活を願う声は依然として存在している。

まだまだ確定ではないが、2026年あたりにBEV(電気自動車)のスタイリッシュミニバンとして復活するという噂もあるので注目したいところだ。

2020年にシリーズ消滅。写真は3代目エスティマの最終モデル

【初代トヨタエスティマツインムーンルーフ2WD主要諸元】
全長4750×全幅1800×全高1820mm
ホイールベース:2860mm
車両重量:1770kg
エンジン:2438cc、直列4気筒DOHC
最高出力:135ps/5000rpm
最大トルク:21.0kgm/4000rpm
価格:307万円(4AT)

今見ても斬新なエクステリアデザイン

【豆知識】
マツダが北米向けに1988年に登場させたマツダの元祖ミニバン。日本では1990年から販売を開始した。ルーチェのプラットフォームを使ったFR(後輪駆動)と4WDで、日本仕様のエンジンは3L、V6DOHCのみの設定だった。ボディサイズは全長4660×全幅1825×全高1755mmとエスティマを凌駕するワイドボディだったことも起因して販売面では苦戦。マツダのマルチチャンネル制においてはアンフィニブランドで販売された。初代は1999年まで販売され2代目とバトンタッチ。その2代目がヒットして面目躍如。

MPVはボディサイズの大きさ、価格の高さがネックとなり日本で売れなかった。これは初代エスティマとまったく同じ

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/TOYOTA、MAZDA、クライスラー、ベストカー

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市原 信幸
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