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2020年にシリーズ消滅

2006年には3代目エスティマが登場。こちらは3回のマイチェンにより4種類のフロントマスクが存在するなど2020年まで販売が続けられた息の長いモデルだった。モデル末期でも2000台レベルで販売を続けたモンスターだったが、2020年限りでエスティマのビッグネームは消滅。インパクト抜群のデザインで登場した初代から30年続いた歴史に終止符を打つことになった。

今でこそトヨタのミニバンのリーダーはアルファード/ヴェルファイアだが、エスティマ復活を願う声は依然として存在している。

まだまだ確定ではないが、2026年あたりにBEV(電気自動車)のスタイリッシュミニバンとして復活するという噂もあるので注目したいところだ。

2020年にシリーズ消滅。写真は3代目エスティマの最終モデル

【初代トヨタエスティマツインムーンルーフ2WD主要諸元】
全長4750×全幅1800×全高1820mm
ホイールベース:2860mm
車両重量:1770kg
エンジン:2438cc、直列4気筒DOHC
最高出力:135ps/5000rpm
最大トルク:21.0kgm/4000rpm
価格:307万円(4AT)

今見ても斬新なエクステリアデザイン

【豆知識】
マツダが北米向けに1988年に登場させたマツダの元祖ミニバン。日本では1990年から販売を開始した。ルーチェのプラットフォームを使ったFR(後輪駆動)と4WDで、日本仕様のエンジンは3L、V6DOHCのみの設定だった。ボディサイズは全長4660×全幅1825×全高1755mmとエスティマを凌駕するワイドボディだったことも起因して販売面では苦戦。マツダのマルチチャンネル制においてはアンフィニブランドで販売された。初代は1999年まで販売され2代目とバトンタッチ。その2代目がヒットして面目躍如。

MPVはボディサイズの大きさ、価格の高さがネックとなり日本で売れなかった。これは初代エスティマとまったく同じ

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/TOYOTA、MAZDA、クライスラー、ベストカー

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市原 信幸
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