ブルーインパルスの正式名称は?
空自によると、ブルーインパルスの正式名称は、宮城県松島基地の第4航空団に所属する「第11飛行隊」。ブルーインパルスの愛称になったのは、当時のアクロバット飛行チームのリーダーが所属する飛行隊のコールサイン『インパルス』を基にして、一般にもわかりやすく、という理由からです。
そもそもは、浜松北基地(現浜松基地)で創設され、1960(昭和35)年、同地で初の公式展示飛行が行われました。1964(昭和39)年10月10日の東京五輪開会式では、5機が青空に五輪マークを描き、経済復興を遂げた戦後日本を世界にアピールしました。
2011年に起きた東日本大震災では、松島基地にも津波が押し寄せ、甚大な被害を受けましたが、ブルーインパルスは、九州新幹線の全線開通記念フライトで福岡に遠征中だったため、予備機1機を除く6機は、難を逃れました。震災から5カ月後、再び地元の空に舞ったブルーインパルスは“復興のシンボル”として、多くの人々を勇気づけました。
2020年のコロナ禍、2021年の東京五輪開会式でもフライト
各基地の航空祭を沸かせるブルーインパルスですが、航空祭以外でも記念祭や復興祭といったイベントに登場することもあります。
記憶に新しいところでは、コロナ禍にあった2020年、医療従事者らに感謝と敬意を表すべく都心上空を飛行したほか、翌年開催された東京五輪の開会式に合わせて五輪カラーである青、黄、黒、緑、赤のスモークを鮮やかになびかせました。これらのフライトは、都心近郊の入間基地から離着陸しており、改めてブルーインパルスと入間基地の関係性の深さを示しています。