電柱を越える水の壁
わたしが経験した津波は、1960年のチリ地震津波です。太平洋の対岸の遠いチリ(南アメリカ)で起こった大地震によりやってきたものです。気仙沼水産高校二年生のときでした。わたしの住んでいる舞根湾では、流された家はありませんでした。しかし、カキの養殖筏に大きな被害があり、復興に長い時間がかかったのです。
2011年の地震は、30分ほど海に動きはありませんでした。やがて潮が引きはじめたのです。チリ地震津波のときとは、様子が違います。潮が引いたと思ったらぐんぐん海面が盛り上がり、7~8メートルの高さになって押し寄せてきたのです。
「逃げろ」
という声がそこここから上がり、わたしは高台の自宅の庭までかけ上がりました。わたしの家は海辺からすぐの海抜25メートルほどの高台に建っているのです。下の方の家は、どんどんのみこまれていきます。養殖筏や船もおし流されていきます。
やがて、引き波に変わりました。
津波のこわさは、引き波にあることは経験していました。樹齢百年はある、見覚えのあるイチョウの大木が立ったまま流れてきました。大きな根っ子を抱えたままです。びっくりしてしまいました。
いけすの上にあるわたしの書斎小屋も、あっさり流されてしまいました。
第2波がきました。
電柱の高さを超えるような水の壁です。第2波で、わたしの家より下の家は、全部消えてしまいました。どこまで波が上がって来るのか、想像がつきません。少しでも遠いところに逃げなきゃ、と思いました。3歳の孫の慎平をかかえて、裏山の雑木林を、上へ上へと這い上がりました。犬のローリーとハナも放しました。
高い所から海を見ると、家の屋根が次々に流れてゆくのが見えました。山の奥の方まで行ってみると、避難してきた人たちが30人ほどかたまっていました。みんな家を流され、着のみ着のままです。でも、意外なことにみんな淡々としています。泣きさけんだりしている人は、ひとりもいません。三陸の海辺に暮らす人々は、津波はしかたがないと、あきらめの気持ちがあるのです。
夕暮れが近づき、寒くなってきました。80歳を過ぎた人もいます。とにかく今夜を乗り切らなければなりません。
…つづく「「こんなうまいものがあるのか」…20歳の青年が、オホーツクの旅で《ホタテ貝の刺し身》に感動、その後はじめた「意外な商売」」では、かきじいさんが青年だったころのお話にさかのぼります。
連載『カキじいさん、世界へ行く!』第18回
構成/高木香織
●プロフィール
畠山重篤(はたけやま・しげあつ)
1943年、中国・上海生まれ。宮城県でカキ・ホタテの養殖業を営む。「牡蠣の森を慕う会」代表。1989年より「海は森の恋人」を合い言葉に植林活動を続ける。『漁師さんの森づくり』(講談社)で小学館児童出版文化賞・産経児童出版文化賞JR賞、『日本〈汽水〉紀行』(文藝春秋)で日本エッセイスト・クラブ賞、『鉄は魔法つかい:命と地球をはぐくむ「鉄」物語』(小学館)で産経児童出版文化賞産経新聞社賞を受賞。その他の著書に『森は海の恋人』(北斗出版)、『リアスの海辺から』『牡蠣礼讃』(ともに文藝春秋)などがある。 2025年、逝去。
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