駅が繋いでくれた人々との出会い
1971(昭和46)年の冬休み、抜海駅で稚内駅とは反対側に進んだ1駅目、勇知(ゆうち)駅方面の高台に登り、抜海駅を旭川方面に向けて発車する322列車を撮影しました。2025(令和7)年では抜海駅そばには、一軒の家しかありませんが、当時の写真を見ると、1971(昭和46)年頃は駅のそばに人家が数軒以上あったのがわかります。
抜海駅から利尻富士が見える絶景場所を越えて、南稚内駅側でも撮影しました。急行「礼文」南稚内駅側は荒涼たる原野の中を走ります。当時のディーゼル急行「礼文」は、編成がこんなに長かったのかと驚きます!
「礼文」と、ほぼ同じ地点から望遠レンズで撮影した322列車。当時、321列車と322列車はC55型蒸気機関車が牽引する列車で、私達SLファンが熱中して撮影した列車です。
抜海駅では、何度も駅長さんにお世話になりました。特に有り難かったのは、私が蒸気機関車の撮影をする時、自転車を貸してくださった事です。通常、撮影ポイントまで歩きますが、自転車のお陰で、1時間かかる所を十数分で行くことが出来て、その分、撮影範囲も広がるので助かりました。
抜海駅の駅長さんとの思い出で、今でも最初に頭に浮かぶのは人との繋がりです。私が抜海駅に行く前の日、名寄(なよろ)本線の興部(おこっぺ)駅で9600型蒸気機関車の撮影をしましたが、駅員さんから「これからどこへ行くの」と尋ねられ、私が「抜海駅に行きます」とお答えすると、「今の抜海駅の駅長さんは、前、興部駅にいた方だよ」と仰ったので驚きました!
たまたま、私は英会話用のカセットデッキでSLの通過音を録音していましたので、「そうだ!抜海駅長さんをご存知の興部駅員さんに、抜海駅長さんご夫妻へのメッセージを録音して貰おう」とご提案しました。すると、有り難い事に駅員さんのほぼ全員の方からお言葉を頂けました。
翌日、抜海駅周辺でSLを撮影した後、抜海駅駅舎で駅長さんご夫妻に、その音声を聴いて頂くと、「ああ~、とても懐かしいわ」と奥様が涙ぐまれるのを見て、私も目頭が熱くなった事を覚えています。その日は駅長さんご夫妻から、本当にいろいろな鉄道思い出話を伺う事が出来ました。
東京へ戻ると、抜海付近で撮影した写真をパネルにしてお送りして、感謝の気持ちをお伝えしました。抜海駅に限らず、私達は駅を通して多くの方々と出会い、温かな思い出も残ります。抜海駅は駅ができて、約100年です。訪れた方々が残された思い出の数は想像できません。