まる2日かけて列車で抜海駅に、夢に出てきた駅舎の最後の姿
2024(令和6)年の7月に、2025(令和7)年3月のダイヤ改正で、抜海駅が本当に廃止になる可能性が高まったとの報道があり、その2カ月後、私は2年ぶりに抜海駅に向かいました。旭川13時31分発、稚内駅行きの特急に乗り、今回は稚内のホテルに泊まりました。途中、抜海駅と南稚内駅の車窓から見える利尻富士は、1970(昭和45)年と2022(令和4)年の時と変わらず、絶景でした。
私は抜海駅に約1時間滞在するために、まる2日間使いました。途中、天塩川(てしおがわ)に沿って走る宗谷本線の車窓は本当に素晴らしく、日本の鉄道の宝と思っています。昔、訪れた、羽幌線、日曹炭鉱線、天北線、美幸線、深名線、名寄本線など、宗谷本線に接続していた路線がすべて無くなったのは寂しいです。つい、車窓から、廃線跡がないか探してしまいます。正直、かつての跡形は何も残っていません(涙)。
2024(令和6)年9月18日、稚内駅10時28分発の列車に乗り、抜海駅には10時46分に着きました。2024(令和6)年9月24日、抜海駅の線路は、上り線と下り線の2本から、駅舎がある方の線路1本のみになります。この9月18日は、2番線が廃止される6日前で、最後の2本の線路を見ようと、2022(令和4)年の時とは違い、多くの鉄道ファンが抜海駅にいました。
線路が2つある駅が、線路一本になる事を棒線化と言います。抜海駅が棒線駅になる6日前の2番線に停車する4326D列車を撮影しました。駅構内で出会った学生さんに、抜海駅に官舎があって駅長さんもいらしたことをお話しすると、「想像できません」と驚かれていました。
今の駅や周りの風景を見ると、そう思うのも仕方ありませんが、私の心には、この先、地元の方を含めて抜海駅の姿を知っている人が減っていく事に寂しさを覚えました。
抜海駅で最後の約1時間を過ごした私は、11時48分発の稚内駅行きディーゼル列車に乗りました。抜海駅から最後の乗車!手にした抜海駅乗車証明券は思い出の1枚となりました。抜海駅、100年間ありがとうございました。
稚内駅で駅弁を食べて、13時01分発の特急「宗谷」で旭川へ向かう途中、抜海駅を通過する時、駅を撮影しようとカメラを構えていましたが、高速で、あっという間に通過してしまい、写真は撮れずで、「現実は厳しい」と思わず笑ってしまいました。
この日の夜、稚内市から約300km南下した富良野市のホテルで、サラダとハンバーグを食べながら富良野ワインを飲み、一人、ゆっくり、抜海駅で出会った方々の懐かしい顔、これまでの思い出を思い浮かべながら時を過ごしました。
もう、廃止される前に抜海駅へは行けませんが、抜海駅は無くなっても思い出は消えません。布団の中でウトウトしていると、稚内駅でレンタサイクルを借りて、抜海駅があった場所を訪れている自分の姿が目に浮かびました。
文・写真/山口博
青山一丁目カイロプラクティック院院長。昭和31年生まれ。早稲田大学卒業後、社会人を経て昭和62年からカイロプラクティックを始める。学生時代から鉄道が趣味で、今も鉄道の旅を続ける。メディア出演多数。放送大学「負けない体を作る姿勢学」講師 、(一社)日本姿勢教育協会理事、元早稲田大学オープンカレッジ講師。「青山一丁目カイロプラクティック院」(https://aoyama1.jp)は完全予約制(info@aoyama1.jp)