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ハイカラな和菓子の誕生、残っていない当時の焼型

特に、伊藤博文が何度も宿泊し訪れていたという。明治39(1906)年頃、提供できる茶菓子といえばそば饅頭か羊羹程度だったが、4代目女将の栄子は、「なにか岩惣でしか味わえない、お茶菓子をお出しできないか?」と、必死に考えたそうだ。

若女将のアイデアから生まれた、モダンな和菓子 画像提供:みやじまの宿 岩惣

「そんな時に4代目女将である栄子が思いついたのが、広島県の県木、紅葉の形を模した紅葉まんじゅうでした。宿に和菓子を納品していた『高津堂』の和菓子職人、高津常助(つねすけ)さんに依頼し、長崎産のはちみつや国産の卵と牛を使ったカステラ生地の中にこし餡をいれた、モダンな菓子が誕生しました。当初は、カステラ生地と餡をあわせた菓子というのは、大変ハイカラなものだったそうです。今でいうマカロンのような存在ですね」そう話すのは、7代目女将の岩村玉希さんだ。

本館客室の一例。耳を澄ませると、窓の外に広がる紅葉谷川の奏でる水音の調べが聞こえてくる

はじめの焼き型は、葉に7つの切れ込みがはいり、短い葉柄がついていたほか、葉の真ん中に鹿の親子の柄が刻まれていたそうだが、当初の焼き型はもう残っていないという。

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中村友美
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