「知られざる食材の宝庫」青森・八戸
日本各地にはそれぞれ個性的な「ご当地ラーメン」がありますが、明確な地域のラーメンスタイルがないところもあります。そのような地域の食文化や特産品を生かした新たなラーメンの提案、それが「新ご当地ラーメン創生計画」のプロジェクトでした。
このプロジェクトは、まず、エリアとプロデューサーを決め、そのエリアに在住・在勤している人を対象に出店事業主を募集し、審査・面接後に出店事業主を決定するという方式でした。決定者は、2カ月の修業を経たのち、1年間ラー博で店舗を運営し、その後は、「必ず現地エリアに戻り、ラーメン店を開業する」ということが、条件となっていました。
ちなみに第1弾は対象エリアが「沖縄」で、プロデューサーは「一風堂」の河原成美さん。第2弾の対象エリアは「八戸」で、プロデューサーは先にふれたように、あの佐野実さんでした。
青森県の八戸市は、古くから漁港として栄え、2002年12月に東北新幹線の延伸(盛岡~八戸)を待つ青森南東部の経済拠点でもありました。新鮮な海産物をはじめ、旧南部藩の周辺地域には鶏、豚、各種野菜など、全国的に見ても良質な農作物が豊富でした。まさに、“知られざる食材の宝庫”で、プロデューサーの佐野さんもこの点に惚れ込みました。
50人を超える応募者から選定
出店事業主募集は2001年の9月に始めました。約50名の応募者のなかから出店事業主に選ばれたのは、1957年創業の老舗中国料理店「大陸飯店」の箭内一三総料理長(当時の肩書)でした。箭内さんは店で腕を振るうだけでなく、地元の調理学校でも講師を務める県内有数の中国料理の職人でした。そんなキャリアの箭内さんがラー博での修業に入ったのは、2002年1月15日。
当時20人弱の弟子を持っていた箭内さんでしたが、ここでは一介の新人。修業はゴミ捨て、下処理から始まりましたが、それでも箭内さんは初心に戻り、一から学びました。
その年2月に入ると、次は佐野さんとラーメンの試作に取り組みました。とくにスープでは、箭内さんは佐野さんのレシピどおりに作るものの、理想の味にはなかなかたどり着けません。問題は火加減でした。期間は長いようで短く、「なんとしても佐野さんのスープ作りを体で覚えなければ……」と、箭内さんは試行錯誤を繰り返し、スープ作りに励みました。最終段階で悩んだのが、「もう一味」についてです。箭内さんは八戸に食材を探しに一度戻り、佐野さんはタレにひと工夫加えました。そして2月14日、ついにお互い納得のいく味が完成したのです。