全国のラーメンの名店が出店する「新横浜ラーメン博物館」(ラー博)は、年間80万人以上もの客が訪れる“ラーメンの聖地”です。横浜市の新横浜駅前にオープン後、2024年3月に30年の節目を迎えましたが、これまでに招致したラーメン店は50店以上、延べ入館者数は3000万人を超えます。岩岡洋志館長が、それら名店の「ラーメンと人が織りなす物語」を紡ぎました。それが、新刊『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』(講談社ビーシー/講談社)です。収録の中から、東京・野方にあった「野方ホープ」を紹介します。
都内・環七通り沿いで今なお繁盛の人気店
新横浜ラーメン博物館開業時(1994年3月6日)の8人の店主の決断物語、続いては環七通りの「野方ホープ」です。
私は学生時代に初めて、“東京の背脂ラーメン”を食べ、衝撃を受けました。
世の中にこんなにおいしいラーメンがあるのか?と思いました。
この頃はまだまったく、ラーメン博物館の構想はありませんでしたが、その後、店舗選定をするうえで、東京の背脂ラーメンはぜひ紹介したいと思いました。
当時、都内の環七通り沿いでは数々のラーメン店が話題となりましたが、今もなお営業を続け、繁盛をしているお店は一握りで、そのなかで“勝ち抜いたお店”こそが「野方ホープ」(東京都中野区)です。
創業者の小栗冨美代さんは逝去されましたが、その遺志を継いだ優秀なスタッフたちによって、今もなお進化し続けています。
【「野方ホープ」過去のラー博出店期間】
・ラー博初出店:1994年3月6日~1997年6月29日
・「あの銘店をもう一度」野方ホープ1994出店:2023年3月2日~7月17日
創業者・小栗冨美代さんの波乱万丈の人生
創業者の小栗冨美代さん(1947~2012年、享年65歳)は、1947年4月24日、7人兄弟の末っ子として、石川県の能登半島に生まれました。
中学卒業後は兄の繊維工場を手伝うも、「東京に行けば、いいことがある」という一心で上京。
上京後は会社勤めを経て、21歳で結婚。23歳のとき、長女を授かりました。
さらに24歳のときに飲食店の経営に乗り出し、すぐに繁盛店となります。その後も経営は順調で2店舗目もオープン。
しかし34歳になった時、歩くこともままならないほどの過労により病気を発症。「うつ病」と診断されました。
その途端、娘も仕事もすべて投げ捨て逃げ出したのです。このときから小栗さんの波乱万丈の人生が始まります。
小栗さんいわく、「このとき電車に飛び込んだらどんなに楽か……と思ったくらい、精神的にまいっていたのと同時に、娘に対して本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした」とのこと。
翌年に離婚し、その後はうつ病も治り、やがて、別の男性との間に長男を授かります。
「このままではいけない!」
と、そこから小栗さんは一念発起。保険の外交員を始め、一日じゅう働いていた頃、小栗さんの運命を変える出会いがありました。
ある日曜日の深夜、友人に誘われて行ったラーメン店には長い行列がありました。友人からは、「今日は日曜日だからいつもより少ないけど、普段はもっと混んでいるよ」と聞いたのです。
その繁盛ぶりを目の当たりにし、「ラーメンって、日曜日の深夜でも遠方から人が訪れるほどに、人を引き付ける力があるのか。自分もラーメン店をやってみたい」と、ラーメンの道に進むことを即決したのです。