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シングルマザーで始めた人生最大の挑戦

しかしながら、飲食の経験はあるものの、ラーメンの経験や知識はまったくありませんでした。

お金も時間もなかったため1カ月間だけラーメン店で修業をし、独学でラーメン作りを始めることになりました。

通常、とんこつスープは豚の骨を割ってダシをとるのですが、当初の小栗さんはそのまま骨を入れていたくらいでした。

「骨は割ってから入れるものだよ」と、出入りの業者さんから教えてもらうほど知識がなく、それでも独学で試行錯誤を重ねました。

そしてたどり着いたのが、 “こってり”だけど、“すっきり”した唯一無二のとんこつ醤油ラーメン。

「野方ホープ」創業当時のラーメン

創業は1988年、小栗さんが41歳のとき。シングルマザーで、5歳の息子を育てながらのオープンでした。

当時、ラーメン業界は“環七ラーメン対決”の真っただなか。

小栗さんが選んだ場所は、環七沿いの西武新宿線の野方駅、JR中央線の高円寺駅のどちらからも遠い場所。人通りのない10坪ほどの小さな木造建てのスナックだった店の“居抜き”でした。

この立地は飲食店としては成立しにくい場所ではありましたが、1500万円を借り入れて、「これでダメだったらもうどうにもならない。やるしかない。必ず行列店にしてみせる!」と、強い気持ちをもって開業したということです。

5歳の長男は朝、保育園に預け、夜、迎えに行き、店の2階の住居で育てるといった日々が続きました。

その頃の小栗さんが心がけていたことは、今では当たり前のことかもしれませんが、当時、ラーメン店では意識されていなかった“温かい接客”でした。

何度もお越しいただくお客さまには、「いつもありがとうございます」と、顔を覚え、遠方からくるお客さまには、「ご遠方からありがとうございます」と、女性店主だからこそ気づく気配りを。

そして、独学ながら試行錯誤の末に誕生させた、「一度食べたら“やみつき”になる味わい」により、徐々にお客さまが増えていきました。

自慢のチャーシュー。良質の肩ロースをじっくり焼き上げて特製ダレに漬け込む
「野方ホープ」の麺は中太のちぢれ麺。力強いスープに負けない

そして創業から4年がたった頃、念願の行列ができ始めました。

このときの小栗さんは、「お客さまへの感謝で涙が止まらなかった……」と。

「あの日のことは自分の原点であり、絶対に忘れられない1日だった」とのことでした。

その評判はさらに広がり、この年、1992年にはわずか11席の店舗ではあったものの、多い日で700人ものお客さまが訪れる大繁盛店となりました。

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おとなの週末Web編集部
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