屋台の味を再現したい
「マメさん」の歴史は、かつて函館にあった「龍鳳」という屋台のラーメンにさかのぼります。「マメさん」の創業者である岡田芳也さん(故人)が高校生の頃、たまたま立ち寄った屋台のラーメンの味に感動し、通い続けていました。それが「龍鳳」でした。
しかし大学生となり、いったん函館を離れた岡田さんが函館に戻ってくると、あの「龍鳳」はありません。「龍鳳」の店主は交通事故にあい入院していたのです。
当時の岡田さんは家業の製麺所「岡田製麺」を手伝っていました。ご縁を感じ、店主のもとへ幾度となく通い、身の回りの世話をするようになります。それから数年たったある日、屋台「龍鳳」の店主が、岡田さんの製麺会社を訪れたのです。
岡田さんは「龍鳳」の店主に、「あの龍鳳の塩ラーメンをもう一度食べたい……」と懇願し、作り方を教わることになったのです。
1968年、岡田さんは函館駅前のビルに「マメさん」をオープンします。店名の「マメさん」は、当時の岡田さんの愛称でした。わずか11席のお店でしたが、1日に塩ラーメンを400杯売るという大繁盛店になりました。ですが、家業の製麺所に専念するため、岡田さんは3年後に会社に戻ることになります。後継者もなく、「マメさん」は1985年に閉店となりました。
伝説の塩ラーメン「マメさん」復活への道のり
私たちが函館の塩ラーメンを調査している頃、「昔大繁盛していた幻の塩ラーメンがある」という情報を聞きつけ、聞き込みを続けると、そのお店をやっていたのが、函館の老舗製麺会社「岡田製麺」の代表取締役であった岡田芳也さんだということがわかりました。
さっそく岡田さんを訪ねることとなりました。「マメさん」復活の話を切り出すも、「私は今、会社を守る責任があります。お店をやめてもう15年もたちますし、私がラーメン店に戻ることは到底できないです」と、断られました。しかし私たちはあきらめませんでした。
誘致交渉と同時に函館のラーメンの歴史を調査するなかで、明治時代の函館にあった“南京そば”の店「養和軒」の記事を私たちが見つけました。もともと函館は横浜や長崎同様に開港した都市であるため、ラーメンのルーツとなる中国の麺料理の発見は、多くのメディアから注目を浴びました。この歴史的発見は、函館ラーメンのルーツともいえるものでした。
私たちは再度岡田さんのもとを訪ね、伝統ある函館ラーメンの歴史をくむ「マメさん」の味を復活させましょう、と交渉を重ねました。結果はNOでしたが。
そんなある日、岡田さんから連絡をいただきました。なんと岡田さんは会社には内緒で、昔の「マメさん」の味を再現していたのです。岡田さんいわく、「実は私が一番マメさんの復活を望んでいました。しかし私も経営者ですので、簡単にやりますとは言えませんでした」とのことでした。
こうして15年の月日を経て「マメさん」が復活することとなりました。