クラウンに上級モデルを設定
「いつかはクラウン」というフレーズはクルマに興味のない層にも浸透している秀逸なキャッチコピーだが、憧れのメインストリームにあったのがロイヤルサルーンだ。クラウンにはいろいろなグレードが用意されていたが、一般的がイメージするクラウンといえばこれ。高貴な響きのするグレード名はクラウンの代名詞だった。
9代目にも当然ロイヤル系は王道だったが、クラウンとセルシオの間を埋めるモデルとしてクラウンマジェスタがブランニュー設定された。このマジェスタは、ロイヤルシリーズをベースに大きく豪華にしたのではなく、シャシーなどのコンポーネントは別物としていた。このあたりがトヨタの凄さでもある。
アリストは第3のクラウン
クラウンの最上級モデルのマジェスタとシャシー、メカニズムを共用して誕生したのが今回紹介する初代アリストだ。アリストにはクラウンの名は与えられていないが、第3のクラウンとみることができる。
トヨタは8代目クラウンの時に、初代シーマにその存在を脅かされた。シーマの魅力は高級感と圧倒的な動力性能にあった。トヨタはクラウンをフルモデルチェンジさせシーマに対抗するために、ロイヤル系一本で勝負するのではなく高級志向はマジェスタ、圧倒的な動力性能ではアリストをあてがった。そしてその両方の要素を高いレベルでバランスさせていたのがロイヤル系だったのだ。
国際基準のクルマ作り
マジェスタとコンポーネントを共用するアリストだったが、クルマの出来としてこれはもう別物。マジェスタがほぼ日本専売のドメスティックカーだったのに対し、アリストは海外での販売をメインに考えられていたからだ。つまりアリストは日本基準ではなく、国際基準でのクルマ作りがされていたということ。
それが如実に出ていたのがボディ構造で、マジェスタが日本でしか通用しないピラードハードトップだったのに対し、アリストはセルシオ同様にプレスドアを採用していた。
トヨタは1989年にレクサスブランドを立ち上げ、セダン系ではLS400(初代セルシオ)、ES300(ウィンダム)をラインナップしていたが、それに次ぐセダン系モデルとしてGSを設定。そのGSこそ初代アリストで1993年から北米で販売を開始した。
別にトヨタが日本市場を軽視していたのではない。裏を返せば、日本人の嗜好に合わせたクルマ作りをしていたということ。現在地元でありながらおまけ的になった日本市場の位置づけを考えるとあの頃の日本ユーザーは幸せだったといえるだろう。