今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第67回目に取り上げるのは1972年にデビューした2代目日産ローレル(C130型)だ。
ハイオーナーカー時代の幕開け
初代ローレルは1968年3月にデビュー。日産としては大衆車のコロナとショーファーカー的で高級車のセドリックの間を埋める車種が必須だった。そして時代の流れを先取りし、日本初のハイオーナーカーとして日産は大々的にアピールしていた。ハイオーナーカーとは小型上級セダンのことで、奇しくもローレルから5カ月遅れでトヨタは初代コロナマークIIをデビューさせている。
初代ローレルは直線を基調とした3代目ブルーバード(510型)と似たデザインが与えられていたが、エンジンはブルーバードが1.3~1.8ℓに対し1.8Lと2Lで上級化。
初代ローレルはデビュー時には4ドアセダンのみだったが、ライバルのコロナマークIIに対抗すべく2ドアハードトップを追加。この2ドアハードトップは日産初のピラーレスで、日産は前席と後席の間にピラーがない解放感をアピールしていた。
ハイオーナーカー時代の先鞭をつけた初代ローレルは、マニアックなオーナーからは評価されていたが、ライバルのマークIIが45万台超を販売したのに対しローレルは15万台超と約3分の1と販売面で完敗となった。
2代目はスカイラインとコンポーネントを共用
苦戦した初代の後を受けて、1972年に今回紹介する2代目ローレル(C130型)がデビューしたのだが、ローレルを取り巻く環境は大きく変化していた。それは1966年の日産とプリンスの合併だ。初代ローレルは純日産で開発がスタートして、デビューしたのは合併後。エンジンが日産のL18からプリンス製のG型エンジンに変更なったが、それ以外のシャシーをはじめとするコンポーネントは専用だった。
しかし、日産ブランドにスカイラインが加わったことでローレルはスカイラインとコンポーネントを共用する兄弟車という関係となった。日産サイドでは、日産オリジナルのローレルが本家で、そのローレルのコンポーネントを共用する兄弟車がスカイライン、という位置づけなのかもしれないが、残念ながら知名度でいえば圧倒的にスカイラインのほうが上。最終モデルとなる8代目(C33型・1997~2003年)まで兄弟車として開発、製造されたが、その力関係が変わることはなかった。
ハイオーナーカーのキャラは踏襲
そんな状況下で2代目ローレルは1972年4月にフルモデルチェンジしてデビュー。4代目スカイライン(通称ケンメリ)が9月デビューなので、ローレルのほうが先に登場。真偽はわからないが、2代目ローレルを先に登場させたは日産の矜持だったのかもしれない。
前述のとおり、2代目ローレルは4代目のケンメリスカイラインをシャシーをはじめコンポーネントを共用し、ローレルはハイオーナーカー、スカイラインはスポーツモデルというそれぞれのキャラクターは差別化されていた。
それが如実に表れているのがラインナップ。スカイラインが4ドアセダンと2ドアハードトップ、ワゴン、バンと幅広く設定しているのに対し、ローレルは4ドアセダンと2ドアハードトップのみ。初代同様に商用車は設定せずハイオーナーカーとして個人ユース限定にすることで高級感を演出していた。