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1993年、日本初の世界文化遺産「姫路城」

それでは姫路城の紹介にうつりましょう。『ボナンザ』で食事を終え、ほろ酔い気分で姫路城に向かいました。近づくにつれてその威容が迫ってきます。それにしても白鷺城(はくろじょう、しらさぎじょう)とも呼ばれる姫路城の美しさたるや、見るたびにため息が出ます。重厚かつ重層的な外観はどの角度で見ても、どこを切り取っても美しい。

その意味ではモーツアルトの天上の音楽、マイケル・ジョーダンの芸術的なバスケットボールのプレー、富士山の壮麗な姿、にも似た神々しさを感じます。よくこの建造物が400年の長きにわたり残っていたものです。1993(平成5)年12月、奈良の法隆寺とともに日本初の世界文化遺産になったのもうなずけます。

姫路城

姫路城の中で、個人的にお薦めしたいのは西の丸です。観光客のお目当てはもちろん天守閣。ならばとちょいと遠回りして「西の丸」から回ったところ、比較的空いていました。ゆっくり歩いていると句碑らしきものがあります。なかなか解読が難しい字体で、最後の「夢の跡」は読めますが他はよくわかりません。え?「夏草や兵どもが夢の跡」?と思ったものの、まさか中尊寺(岩手県平泉町)で詠んだ松尾芭蕉の句がここにあるのも不思議です。

西の丸にある句碑

句碑「千姫の 春やむかしの 夢の跡」

近くにいたお城の関係者に聞いてみたところ、「千姫の 春やむかしの 夢の跡」とあるようです。姫路地方の俳句の黎明期を支えた梶子節(かじ・しせつ)さんという方が、1933年(昭和8年)3月に詠んだ句とか。

さて「千姫」。歴史に詳しい方はご存じかも知れませんが、徳川幕府二代将軍、徳川秀忠と江(浅井長政とお市の方の三女)の長女として生まれ、後に豊臣秀頼(太閤豊臣秀吉の三男)に嫁ぎます。その後、大阪夏の陣で秀頼と死別したあとは、初代姫路藩主であった本多忠刻と再婚し姫路城で約10年間過ごしました。何とも数奇な運命に導かれた千姫。西の丸は「西の丸櫓郡(やぐらぐん)」として約240メートルもの長い廊下が続いています。名付けて「百軒廊下」。そこには忠刻や千姫もかつて住んでおり、衣装部屋や化粧室なども残されています。その中には、「千姫八幡宮(せんひめはちまんぐう)」を望む部屋もありました。千姫が夫・忠刻との幸せを願って姫路城近くの男山(おとこやま)に建立したお宮で、千姫は朝夕ここから祈りを捧げていたそうです。

何ともロマンチックな歴史を持つ「千姫八幡宮」に早速行ってみました。姫路城から「千姫の小径」を歩いて約15分。ほどなくお宮に到着。とても小さな、けれど愛らしいお宮でした。忠刻と千姫の羽子板も神社の両サイドにありました。2人の仲睦まじい様子が目に浮かびます。

千姫八幡宮
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「千姫の小路」に現れたシラサギ、幸運が訪れるかも
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十朱伸吾 
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