JR高尾駅と武蔵陵墓地との位置関係を示した地図。高尾駅前に設置された周辺案内図より=2026年5月25日、八王子市長房町
武蔵陵墓地内にある大正天皇の多摩陵〔たまのみささぎ〕(左)と、貞明皇后の多摩東陵〔たまのひがしのみささぎ〕(右奥の鳥居)=2026年5月25日、八王子市長房町
京王電気軌道が計画した御陵線の当初計画線路図。開通時のルートとは異なっており、之には紆余曲折があった=資料/国立公文書館蔵
八王子電気鉄道が計画していた多摩御陵へと続く「下長房支線」の計画線路図。同鉄道浅川線の途中にある原宿停留所から分岐させる計画だった=資料/国立公文書館蔵
当時の相模鉄道(現JR相模線)が計画していた橋本駅~八王子駅間の計画ルート図。この計画路線とは別に、橋本駅から八王子駅へと向かう現・横浜線の線形も見てとれる。多摩御陵へは、新線の途中から分岐する支線が描かれている=資料/国立公文書館蔵
八王子市会から提案のあった現在線の一部を廃止して、途中の長沼駅よりルート変更する案と、同市会で決議された線路変更案(八王子市最東端を通過)が示された路線計画図=資料/国立公文書館蔵
旧案と東廻り案とで路線ルートが検討されたことがわかる計画図=資料/国立公文書館蔵
京王電気軌道の貴賓電車500形。皇族方の利用が見込めず、1938(昭和13)年に一般車へと格下げされた=資料所蔵/JLNA
開業当時の御陵前駅を写した絵葉書より。貴賓室は駅舎正面向かって右側にあった=資料所蔵/JLNA
御陵前駅停留場の平面図。図に見る駅舎の右側には駅前広場があり、その先に多摩御陵へとつづく参道が描かれている=資料/国立公文書館蔵
御陵前駅の平面図より。図中に見る「本屋」とは鉄道用語で駅舎の中心となる建物を意味する。図中の上側の居室名に「貴賓室」の文字が見てとれる=資料/国立公文書館蔵
京王高尾線が計画当初のころの路線計画図。現在の線形よりも中央線寄りに計画されていることがわかる。そして御陵線の代替路線を意識した駅が記載されている=資料/国立公文書館蔵
新設される高尾線(申請線)が当初段階であった当時の路線略図。御陵線は休止中のままとなっていた=資料/国立公文書館蔵
御陵線の廃止が決定的となった高尾線の路線計画図=資料/国立公文書館蔵
御陵線の廃止申請書「地方鉄道運輸営業一部廃止許可申請書」。“一部廃止”としているのは、高尾線として生まれ変わる区間として御陵線が部分的に残るための措置だった=資料/国立公文書館蔵
京王高尾線から分岐してカーブを描きながら廃線跡は手前に向かっていた=2026年5月25日、八王子市山田町
市道へ接近するあたりの廃線跡は雑木林と化していた。画像は分岐点側を見ているが、その反対側は住宅地と化しており、以前は敷地境界杭を見ることができたというが発見できなかった=2026年5月25日、八王子市山田町
戦後撮影された御陵線の廃止区間(休止中)を示した空中写真(合成)=米軍撮影空中写真〔USA-R1779-80ほか合成〕国土地理院データに筆者加筆
このあたりから廃線跡(軌道敷)は、市道山田町並木線へと転用されており、鉄道遺構はなにも遺されていない=2026年5月25日、八王子市山田町
市道山田町並木線からJR中央線のアンダーパスを見る。ここも廃線跡なのだが、当時をしのぶものは何も遺されていなかった=2026年5月25日、八王子市散田町
戦後に撮影された休止中の武蔵横山駅をとらえた報道写真。サン写真新聞1951年6月20日版5面より=資料個人蔵
写真中央の樹木の後ろあたりに「武蔵横山駅」があった。手前の道路は甲州街道(国道20号線)で、線路は高架橋(横山架道橋)で渡っていた=2026年5月25日、八王子市並木町
戦後に撮影された空中写真より、南浅川~武蔵横山駅周辺をとらえたもの=米軍撮影空中写真〔USA-R1779-80〕国土地理院データに筆者加筆
武蔵横山駅から甲州街道を高架橋で越えていた廃線跡は、正面に見える駐車場(元はガソリンスタンドがあった)を通って多摩御陵駅方向へと向かっていた=2026年5月25日、八王子市並木町
南浅川越しに武蔵横山駅跡(甲州街道)方向を見たところ=2026年5月25日、八王子市並木町
横山橋の上(横山311号線)から南浅川の上流方向を見たところ。御陵線はこんな感じで川を渡っていたのだろうか=2026年5月25日、南浅川に架かる横山橋
住宅街の中に遺された御陵線の2つの橋脚。ここには径間16.5mの鉄桁が架けられていた=2026年5月25日、八王子市長房町
浅川橋梁を支えたコンクリート製の橋脚=2026年5月25日、八王子市長房町
この橋脚は、もうひとつの橋脚と形状が異なっていた=2026年5月25日、八王子市長房町
いかにも鉄道らしい曲線を描く住宅の敷地。左奥の高層建物が都営長房アパート。廃線跡は、その方角へと進んでいた=2026年5月25日、八王子市長房町
朱書き線に沿うように軌道敷は存在していたのだろう。多摩御陵前駅のホーム端あたりから武蔵横山駅方向を見る=2026年5月25日、八王子市長房町
「御陵前停留場平面図」。ホームが3線あるため軌道敷が拡がっているのがわかる。駅跡地周辺の住宅地や道路も、同じような線形を描いていた=資料/国立公文書館蔵
多摩御陵前駅の駅舎が建っていたあたりを見る。面影はなにもなく言われないとここに駅があったことなど想像すらできないだろう=2026年5月25日、八王子市長房町
駅前広場の跡地に建つ内科医院。右側の道路に沿うように住宅地の中に軌道敷(線路)は存在していた=2026年5月25日、八王子市長房町
武蔵陵墓地から東浅川宮廷駅へとつづく参道と駅前広場跡地に建つ内科医院(右側)=2026年5月25日、八王子市長房町
多摩御陵前駅から参道を500mほど進むと武蔵陵墓地の正門に突き当たる。画像は正門から見た墓地総門=2026年5月25日、八王子市長房町