2005(平成17)年までJR新橋駅の日比谷口に面したあたりには、噴水とタクシー乗り場があった=1978年1月28日、港区新橋、撮影/片山康毅
現在のJR新橋駅・日比谷口のようす=2026年9月2日、港区新橋
昭和時代の蒸気機関車(C11形292号)は、今とは異なり樹々に囲まれていた=1978年1月28日、港区新橋、撮影/片山康毅
現在は、品川駅(港区高輪)周辺の再開発により発掘された「高輪築堤」の石を活用したモニュメントとともに設置されている蒸気機関車(C11232号機)=2026年9月2日、港区新橋
国鉄のホームから見た昭和61年当時のSL周辺のようす。蒸気機関車(C11形232号機)の裏側に面した「柳通り」には、多くの樹木が植えられていた=1986年10月4日、港区新橋、撮影/片山康毅
JRのホームから見た現在のようす=2026年9月2日、港区新橋
旧汐留駅にあった「本邦鉄道起源地」の記念碑。揮毫は第12代鉄道大臣、内田信也氏によるもの。現在この碑は行方知れずで、どこにも展示されていないと聞く=1978年3月21日、港区東新橋、撮影/藤井 曄
昭和55年に国鉄新橋駅・東海道線ホームから有楽町駅方向を写したもの。20系と呼ばれたブルートレインの姿もなつかしい=1980年、港区新橋、撮影/星 晃
46年の歳月を経て一つ前の写真と同じ位置で撮影したもの=2026年9月2日、港区新橋
新橋駅の東海道線上りホームの東京駅寄りで撮影した「急行なにわ」号(153系電車)。当時の駅周辺には高い建物は見当たらない=1962年8月5日、港区新橋、撮影/沢柳健一
一つ前の写真とほぼ同じ位置で撮影したもの。64年の歳月は何を語りかけているのか=2026年9月2日、港区新橋
かぼちゃ電車と呼ばれた電車は東海道線の代名詞だが、この電車は横須賀線の東京駅行きで、この当時の横須賀線は地下ではなく地上を走っていた。この時代、右にあるべき東海道新幹線の姿はまだない。国鉄新橋駅東海道線ホームの有楽町駅寄りで=1963年1月21日、港区新橋、撮影/沢柳健一
一つ前の写真とほぼ同じ位置から撮影したもの。高層ビルが立ち並び、63年という歳月を感じる。東海道線ホームの新橋駅寄りで=2026年9月2日、港区新橋
昭和29年に新橋駅の山手・京浜東北線(東京・上野方面)ホームから浜松町駅寄りを撮影したもの。当時の品川駅~田端駅間の山手線と京浜東北線は1956(昭和31)年まで同じ線路を走っており、写真をよく見ると現在の山手線(内回り)の線路が敷かれていないことがわかる。その奥を走るのは東海道線をゆく準急伊豆号=1954年9月23日、港区新橋、撮影/沢柳健一
一つ前の写真とほぼ同じ位置で撮影したもの=2026年9月2日、港区新橋
大正3年に建設されたルネサンス様式の新橋駅レンガ駅舎=1958年3月3日、港区芝新橋、撮影/沢柳健一
レンガ駅舎の跡に建てられた国鉄(→現JR)新橋駅の駅舎=2026年9月2日、港区新橋
1937(昭和12)年当時の新橋駅周辺を示した地図。レンガ駅舎や都電(路面電車)の停留所が記されている=芝区詳細図より
第一京浜・中央通り(国道15号)と外堀通り(都道405号)が交わる交差点にあった都電の新橋停留場。4系統の新橋銀座行きと五反田駅行きが写る=1967年12月7日、港区新橋、撮影/沢柳健一
一つ前の写真と同じ場所で撮影した現況写真。すっかり背景も変わり、指標となるのは東京高速道路(通称KK線)の高架橋くらいだ=2026年9月3日、港区新橋
この写真は、トップ画像と同じもの。新橋駅に近い外堀通り(都道405号線)をゆく路面電車「都電〔6系統〕渋谷駅行き」。後方の高架線を走るのは東海道新幹線〔0系電車〕=1967年1月27日、港区新橋、撮影/沢柳健一
ひとつ前の写真とほぼ同じ位置で撮影した現況写真。周囲を見回すと一つだけ当時の建物が残っていた=2026年9月2日、港区新橋
昭和51年の横須賀線・新橋地下駅開業を祝う装飾看板。これと同時に「しんちか名店街」もオープンした=1976年10月1日、撮影/豊永泰太郎
装飾看板があったあたりは現在、タクシープールになっている。後方の新橋駅前ビル1号館は当時と変わらぬ姿のままだ=2026年9月2日、港区新橋
新橋駅前ビル2号館の脇にある「しんちか名店街」や新橋地下駅に通じる地下連絡口。まるで昭和へタイムスリップする入口のようだ=2026年9月2日、港区新橋
昭和の時代で時が止まっている地下連絡口に設置されている案内板。「国鉄(→現JR)」、「営団(→現・東京メトロ)」の文字が昭和感をそそる=2026年9月2日、港区新橋