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「室町第」という名称をご存じだろうか。東西は室町通から烏丸通、南北は上立売通から今出川通に及ぶエリア。室町時代三代将軍・足利義満によって京都御所のすぐ北側に造営された邸宅。これぞ室町殿。

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の中心的存在である北条氏を滅ぼし、政権を鎌倉から京都に移した室町幕府の肝となる場所だ。

そこで本題。実はこのエリアには京菓子の名店が多いということ。北山文化の創始者でもある足利義満は宇治茶を珍重し自ら茶園を開かせるなどして茶を愛し、八代将軍・義政は東山文化の中で村田珠光のわび茶を嗜好した。

また、千利休と関わりの深い豊臣秀吉もこの近くに邸宅を築き、利休の子孫が興した千家はこの地から茶の湯文化を発信し続けてきた。ここは茶の文化と縁が深い。そして茶文化に牽引されるように菓子の世界も発展。いつしか京菓子と呼ばれる文化が確立されることになる。と、まあ京菓子の名店がこの地に多いのも納得。

そこで、往時に想いを馳せつつの室町第周辺の京菓子散策に出かけてみた。伝統を受け継ぎながら追求を止めない技と味が待っている。

スタートは京都御苑から烏丸通を挟んで西側にある京都府庁。本年、文化庁が京都に移転する(業務開始は令和5年3月予定)。明治維新によってさまざまな首都機能が東京に移されてから150余年の時を経て、文化のパワーステーションが府庁エリアに戻ってくるというわけだ。まさに伝統文化散策の起点にぴったり。

ちなみに文化庁の新庁舎は旧京都府警察本部本館と隣に新築中の新行政棟。旧京都府警察本部本館は1928(昭和3)年竣工の近代建築で、建築遺産として残すべき高い価値がある。

また、敷地の正面には1904(明治37)年に竣工した京都府庁旧本館もある。こちらは国の重要文化財に指定されており、現役の官公庁建物としては日本最古。創建時の姿を間近に体感できる。

ルネサンス様式に属する京都府庁旧本館。平日のみ旧議場や旧知事室の見学も可能だ。
建物内部は和風の建築技術も取り入れられ旧知事室などにその意匠が見られる。一部は今も現役の執務室として使用されている。
手前が現在改修中の旧京都府警察本部本館。その奥が建築中の新行政棟だ。ここが新たな文化庁となり京都から日本の文化を支える。

近代建築遺産を見学の後、西に向かい堀川を越えるとそこは西陣の外れ。『京菓子司 金谷正廣』は「真盛豆」と書かれた看板が目印。この〈真盛豆〉は、1587(天正15)年の北野大茶会で秀吉から称賛の言葉があったという謂れを持つ。

室町時代、西教寺の開祖・真盛上人が考案したもので、北野にある西方尼寺の仏弟子に伝えられた。時は下り1856年、石川県加賀から京都に出て菓子業をはじめた初代・金谷庄七は、裏千家とつながりが深い西方尼寺に出入りを許され真盛豆のつくり方を伝授される。

六代目となる金谷亘さんによると、もともとは黒豆に塩と大豆の粉を使い大根の葉をまぶした甘くない菓子だったようで、それを初代が販売するにあたり現在の甘いお菓子として改良したのだという。

中心にはよく炒った丹波産の黒豆、そのまわりに砂糖蜜とすはま粉を幾重にも重ね、仕上げに青のりをまぶす。上品な磯の香りと柔らかくふくよかな大豆の風味、香ばしい黒豆が一体となった小さな球体は、現在でも茶人たちからの支持が高いという。

豊臣秀吉から「茶味に適す」と讃えられた〈真盛豆〉。西方尼寺にある利休井戸をモチーフにした利休井筒入(小3,083円、中4,455円・税込)。袋入り(1,069円・税込)。
鮎の塩焼きと見紛う〈香魚〉は観賞用の工芸菓子の技を使ってつくられる(1個280円・税込)。中には海苔の香る特別なあんこ、外側は大和芋と和三盆の落雁。鮎が乗る平皿はオリジナルのもの。店のHPではこの平皿や菓子楊枝も扱う。
“おとなの週末“からイメージを膨らませたという生菓子〈沖縄の海〉は、氷餅で波のきらめきを表現。おあつらえの注文やコラボ企画では大胆な意匠に、通常は使わないスパイスなどフレーバーを加えたオリジナルの生菓子も制作。
太平洋戦争中に2年ほど店が開けられない状態だった際、疎開先で当時の主人が店再開の願いを込めて彫ったという看板。
六代目の金谷亘さん。茶道になじみがない人にも、もっと京菓子に触れてほしいと、美術展やカフェとのコラボも積極的に取り組む。
中立売通には聚楽第の西濠跡と東濠跡、それぞれを示す石碑がある。聚楽第の規模に驚くはず(秀吉すごっ……)。

豊臣秀吉が威光を顕示するかのように建てた邸宅、聚楽第。その鉄門があったとされる黒門通に面する『御菓子司 塩芳軒』は、日本に初めて饅頭を伝えたとされる中国の僧・林浄因の流れを汲む『塩路軒(しおじけん)』に奉公した初代・髙家芳次郎が1882年(明治15年)に創業した。

立地にちなんでつくられた〈聚楽〉は店を象徴する銘菓。素材のよさを引き出す生菓子も京都内外の茶人に広く支持される。

「ここは西陣ですから、茶事だけでなく織物や小物を商うお店でお客さんにお出しする菓子としても使っていただいています。西陣の暮らしのさまざまな場面に必要とされることで続いてきたという想いがありますね」とは五代目の髙家啓太さん。

また、純和三盆の〈雪まろげ〉という干菓子を小さな箱に並べて印象を変えてみたところ、若い人たちの目に留まったと顔がほころぶ。店を継ぐ前はデザインの仕事をしていたという強みも活かし、時代の流れにのって軽やかに美しい御菓子をつくり続ける。

銘菓〈聚楽〉は専用に炊いたなめらかなこし餡を、しっとり香ばしい皮で包んだ逸品(1個176円・税込)。餡を使ったお菓子は本店でのみの販売。
季節のうつろいを繊細に表現する生菓子。写真は紅色の餡を葛で包んだ〈水牡丹〉。ひんやり、つるりとした食感が初夏の蒸し暑さを和ませる(1個432円~・税込)。
大正3年に完成した堂々たる佇まいの現店舗は、京都市歴史的意匠建造物および景観重要建造物に指定。入口横の長のれんは、もともとは初代の奉公先『塩路軒』から与えられた。
時代を感じさせるしつらえの店舗奥には座敷と坪庭があり、月に1~2回、節句や年中行事にそった御菓子とお茶を出す喫茶営業もしている。
「西陣の人々の生活に必要とされることで代を重ねた店ですから、今も御用聞きや配達は大事な仕事です」と語る、5代目店主の髙家啓太さん。
二十四節気など暦の移り変わりに加え、氏神様である今宮神社の祭りなど地域の歳時に合わせた菓子作りを続けている。
秀吉のそばには千利休あり……。塩芳軒を出て5分ほどの場所。平安京の鬼門に建つ陰陽師・安倍晴明を祀る晴明神社は千利休の住居跡でもある。
晴明神社にある五芒星が刻まれた清明井戸は利休も使ったとされる。

日本での菓子の歴史は古く、唐をはじめとする外来文化に影響されながら独自の菓子文化をつくり上げてきた。とりわけ千年もの時を都として栄えた京都では、菓子も当然発展を遂げる。

17世紀の頃には、すでに名店・銘菓を紹介する書物も出回り、菓子の製法なども紹介されている。18世紀に入ると琳派の影響などから意匠も変化。和歌や物語、花鳥風月、地名、年中行事などから菓銘がつけられるようになり、二十四節気に象徴される季節の移ろいを重視。茶の湯の発展とともに洗練された。

場所柄、宮中、公家衆、大名家、寺院などからの需要も多く、菓子職人も競って独自性を表現し、京菓子として大成しはじめた。あわせて砂糖の普及により市井の人々にも求められるようになっていく。

……後編に続く

【店舗データ】


京菓子司 金谷正廣
住所/京都府京都市上京区吉野町712
電話/075-441-6357
営業時間/9:00~18:00
定休日/水曜
URL/http://shinseimame.com

御菓子司 塩芳軒
住所/京都府京都市上京区黒門通中立売上ル飛騨殿町180
電話/075-441-0803
営業時間/9:00~17:30
定休日/日曜・祝日・月1回水曜日(不定)
URL/https://www.kyogashi.com

編集/エディトリアルストア

取材・執筆/成田孝男、渡辺美帆

写真/児玉晴希


※情報は令和4年6月28日現在のものです。

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おとなの週末Web編集部
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