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“そうだよ、京都行っちゃおう!”……と、広告やCMに映し出された美しい庭に魅了され、実際に行ってみたら観光客がごった返していた……なんて経験ありますよね。静謐な空間でじっくり庭鑑賞といかないことも多いのが京都。そこで市街地を少し離れ、のんびり美しい庭を求めてワンデイトリップというのはいかが。

夏は鮮やかな緑に包まれる、岩倉・妙満寺の枯山水。冬とはまったく違う表情を見せる。
たっぷりと時間を使い、静かに庭を眺めるなら岩倉エリアは最適な場所。

岩倉・妙満寺に今年の春、枯山水の名庭よみがえる!

行き先は顕本法華宗総本山 妙満寺。京都御苑から北6kmほどの岩倉にある寺院。岩倉といえば“床みどり・床もみじ”で有名な実相院門跡、比叡山を望む借景庭園の圓通寺などがある地。

そこで本題、妙満寺。この寺院にある枯山水庭園「雪の庭」は、北野天満宮の「花の庭」、清水寺の「月の庭」という3つの名庭をもって、江戸時代「雪月花の三庭園」として名を馳せていた空間。

明治維新によって北野天満宮「花の庭」は消失、「雪月花の三庭園」の存在も影に隠れていたのですが、今春、北野天満宮の梅園が「花の庭」として再興。同時に妙満寺の「雪の庭」も大改修を行い、令和の時代となって「雪月花の三庭苑」がよみがえり、話題となっています。

1389年開創以来、応仁の乱など何度も兵火に遇い、そのつど洛中で移転・再興してきた。戦後、喧騒から逃れるため岩倉に移転する。
各貫主、宮司によって書かれた雪月花の文字が客殿の床に並ぶ。「雪月花」は中国の詩人・白居易の漢詩の一説に詠まれた、自然の美しさを指す語で、日本の美意識に大きな影響を与えた。
寺宝のひとつ「安珍・清姫伝説の鐘」。能や歌舞伎の演目でも知られる紀州・道成寺の鐘は、秀吉紀州攻めの際に京都に運び込まれたとされ、今も毎年鐘供養が行われている。
実相院門跡は住職を天皇家の血を引く方々が務めた門跡寺院。岩倉御殿とも呼ばれ、広大な石庭「こころのお庭」もみどころ。
もとは後水尾上皇の離宮だった圓通寺。苔におおわれた平庭式の枯山水と、木立を通して望む比叡山の借景で知られる名勝。

歌人・松永貞徳の美意識が庭に。

作庭したといわれるのは歌人・松永貞徳(1571-1653年)。俳諧の祖とも呼ばれる貞徳は、宮中や公家のたしなみだった連歌や和歌をもっと親しみやすいかたちにしようと、俗語や日常語を使う俳諧を興し人気を博した人物。松尾芭蕉も貞徳の「貞門流」に学んだといえば、その影響力の大きさがお分かりになるかと。

貞徳はこの3つの庭に自身の美意識を表現したといわれますが、歴史的にいろいろと不明点もあるようで。ただ、なにがしか作庭に関係したことは間違いなさそう。

とりわけ妙満寺「雪の庭」は往時の住職が貞徳の門人という縁があり、貞徳が直接作庭したことは確か。冠雪の眺望がとても美しい庭をつくっています。本能寺の北側あたり、現在の京都市庁舎にあって“寺町二条の妙満寺”と呼ばれ、京都の人々にはよく知られた存在だったとか。現在でも「妙満寺町」という地名が残っています。往時は「雪月花の三名園」すべてが洛中に揃っていたのですね。

開け放された雪見障子により、絵画のような額縁庭園としても楽しむことができる。
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冠雪の庭はさぞ格別だろうなぁ……と冬に思いを馳せ。...
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おとなの週末Web編集部
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