“そうだよ、京都行っちゃおう!”……と、広告やCMに映し出された美しい庭に魅了され、実際に行ってみたら観光客がごった返していた……なんて経験ありますよね。静謐な空間でじっくり庭鑑賞といかないことも多いのが京都。そこで市街地を少し離れ、のんびり美しい庭を求めてワンデイトリップというのはいかが。
岩倉・妙満寺に今年の春、枯山水の名庭よみがえる!
行き先は顕本法華宗総本山 妙満寺。京都御苑から北6kmほどの岩倉にある寺院。岩倉といえば“床みどり・床もみじ”で有名な実相院門跡、比叡山を望む借景庭園の圓通寺などがある地。
そこで本題、妙満寺。この寺院にある枯山水庭園「雪の庭」は、北野天満宮の「花の庭」、清水寺の「月の庭」という3つの名庭をもって、江戸時代「雪月花の三庭園」として名を馳せていた空間。
明治維新によって北野天満宮「花の庭」は消失、「雪月花の三庭園」の存在も影に隠れていたのですが、今春、北野天満宮の梅園が「花の庭」として再興。同時に妙満寺の「雪の庭」も大改修を行い、令和の時代となって「雪月花の三庭苑」がよみがえり、話題となっています。
歌人・松永貞徳の美意識が庭に。
作庭したといわれるのは歌人・松永貞徳(1571-1653年)。俳諧の祖とも呼ばれる貞徳は、宮中や公家のたしなみだった連歌や和歌をもっと親しみやすいかたちにしようと、俗語や日常語を使う俳諧を興し人気を博した人物。松尾芭蕉も貞徳の「貞門流」に学んだといえば、その影響力の大きさがお分かりになるかと。
貞徳はこの3つの庭に自身の美意識を表現したといわれますが、歴史的にいろいろと不明点もあるようで。ただ、なにがしか作庭に関係したことは間違いなさそう。
とりわけ妙満寺「雪の庭」は往時の住職が貞徳の門人という縁があり、貞徳が直接作庭したことは確か。冠雪の眺望がとても美しい庭をつくっています。本能寺の北側あたり、現在の京都市庁舎にあって“寺町二条の妙満寺”と呼ばれ、京都の人々にはよく知られた存在だったとか。現在でも「妙満寺町」という地名が残っています。往時は「雪月花の三名園」すべてが洛中に揃っていたのですね。