2000年に創設された「TRYラーメン大賞」(通称「TRY(トライ)」)は、ラーメンフリークのみならず、業界からも熱い視線を集める“業界最高権威”の賞だ。長年ラーメンを食べ続けているスペシャリストのTRY審査員と名店審査員の計7人が審査して選んだ各店を、毎年1冊のムック本にまとめて紹介している。審査員歴21年目を迎えた青木誠さん(48)は最古参。なぜTRYの審査員になったのか。人生を変えたラーメンとは。「ラーメン王」の半生を伺った。
ラーメンが“胎教”だった!? 中学時代には『らーめん香月』に感動
青木さんは東京都出身の会社員。子どもの頃からラーメンは好きな食べ物のひとつだった。
「母親がラーメン好きで、僕を妊娠していた際、つわりが辛くて食事ができない時でも『永福町大勝軒』(東京都杉並区)のラーメンはするすると食べられたそうです」と笑う。
『永福町大勝軒』は1955(昭和30)年創業の老舗。70年経った今も客足の絶えない人気店だ。幼少期から、母親には、『天鳳』(東京都港区)などいくつかの有名なラーメン店にも連れて行ってもらっていたという。
「中でも衝撃を受けたのが、当時は(東京の)恵比寿に店舗があった『らーめん香月』(本店は現・東京都目黒区)。母は屋台の頃から通っていたそうです。 こんなうまい食べ物が世の中にあったのかと、かなり感動したことを覚えています。中学生になった頃からラーメンを食べに出かけるようになりましたが、きっかけとなったお店です」
高校に入ると、さまざまなエリアから通う友人たちと共に、行動範囲を広げてラーメンを食べ歩くようになる。“背脂チャッチャ系”といわれる店が隆盛を極めていた時期だった。
「当時は、『らーめん涌井』(東京都足立区)や『らーめん弁慶』(東京都葛飾区)、『屋台ラーメン とんこつ貴生』(当時・東京都葛飾区、現・千葉県松戸市)など、うまいと聞いて行くと、たいてい背脂が入っていました」
『中華そば 多賀野』で受けたカルチャーショック
そんな頃、自宅にあったラーメン本を見た。ほんのりと背脂が浮いたビジュアルになんとなく惹かれ、友人らと訪れた1軒との出合いが、より深くラーメンの道に進ませることになる。『中華そば 多賀野』(東京都品川区)だ。
「和出汁がガツンときいたタイプで、世の中にはこんなラーメンもあるのかとカルチャーショックを受けました。それで、さらにいろいろなラーメンを食べたいと思うようになりました」
『中華そば 多賀野』は1996年の創業。ラーメン業界には「96年組」という言葉がある。『麺屋武蔵 青山(せいざん)』(当時、東京都港区にあった店舗は現在閉店。東京都新宿区が本店)や『中華そば 青葉 中野本店』(東京都中野区)など、現在の多彩なラーメンにつながり、ブームのきっかけになった店が数多く誕生した年だ。
運命を決定づけた札幌の名店『すみれ』
伝説の店が生まれていた中で、20歳前後の青木さんの運命を決定づけたのが、『すみれ』(札幌の名店で、当時は新横浜ラーメン博物館に出店していた)と『ラーメン二郎 目黒店』(東京都目黒区)、『一条流がんこラーメン総本家』(東京都新宿区、現『一条流がんこ 総本家分家四谷荒木町』)の3軒で食べた時だった。
「この3つの個性があまりにも際立っていて、『ラーメンってやべぇ!』と心底驚きました。完全にラーメンの世界にハマり、98年、99年頃からは年間200杯くらい食べ歩くようになりました」