2000年に創設された「TRYラーメン大賞」(「東京ラーメン・オブ・ザ・イヤー」・通称「TRY(トライ)」)は、ラーメンフリークのみならず、業界からも熱い視線を集める“業界最高権威”の賞だ。ラーメン王やブロガー、人気ラーメン店の元店主などのラーメンのスペシャリストであるTRY審査員と名店審査員、新店審査員の計9人が審査して選んだ各店を年に一度、発表している。審査員の中の紅一点、ベリーダンスのインストラクターとしても活躍するレイラさんは、どうラーメンと出合ったのか。なぜ「TRY」の審査員になったのか。その特異な半生を聞いた。
ラーメンは幼少期の憧れの存在
ラーメンへの造詣も愛も深い「TRY」審査員たち。その審査員の一人であるレイラさんだが、ラーメンを意識的に食べたのは意外にも大学卒業後で、それまではほぼ食べたことがなかったと言う。
「母は北九州の出身なのですが、ラーメンを一度も食べたことがない人でした。ヒッピー世代だったこともあり、食事は自然食が中心で幼少の頃は食べるものを厳しく制限されていました。初めて食べたラーメンは、極まれに近所の中華料理店から出前で取っていた中華そばだったように思います。そんな幼少期に出合った中華そばはごちそうであり、ラーメンは私にとって自由の象徴として憧れの存在になりました」
東京・吉祥寺の『ホープ軒』で“ラーメンの産湯”に浸かった
東京のJR中央線沿線で育ったレイラさんは高校卒業後、イギリスの美術大学に進学。卒業して帰国した折に友達に誘われ、初めて訪れたのが、JR中央線吉祥寺駅近くにあるラーメン店。東京背脂豚骨醤油の始祖であり、1935(昭和10)年創業の『ホープ軒本舗 吉祥寺店』だ。
「まず浮世離れした外観に吸い寄せられました。黄色と赤の極彩色の看板と、店頭に積み上げられた大量のもやし。鰻の寝床のようなカウンター席と背面の大きな鏡。目の前でラーメンが仕上げられていく様子を初めて見て、まるで錬金術を見ているかのようでした。豚骨と野菜を長時間煮込んだワイルドなこってり醤油、背脂たっぷりでクセになる味。その獰猛な香りに横っ面を引っ叩かれ、プルプルとしたちぢれ麺の食感に心躍り、後から後から湧いてくる背脂の甘みと旨みに心がジンジンしました。まさにこれが、私がラーメンの産湯に浸かった瞬間です」
バランスが完璧、通い詰めた『中華 三益』
それ以来『中華 三益』や『漢珍亭』、『はつね』(いずれも東京都杉並区)、『らーめん佐高』や『若月』(いずれも東京都新宿区)、『一二三』(東京都武蔵野市)といったJR中央線沿線だけでなく、『ラーメン専門店 くぼ田』(東京都西東京市)、『らーめん勇』(東京都中央区)、『サブちゃん』(東京都千代田区)などにも通うようになった。いろいろなラーメンに触れていく中で、ノスタルジック系と分類されるいわゆる「東京ラーメン」が好きと気付いたそう。
「特によく通っていたのは『中華 三益』です。当時350円だったラーメンは、濃いめの醤油味で遠くに生姜の香り。やわらかめに茹で上げられた自家製麺は年代物の製麺機で毎朝切り出されたゆるやかなちぢれ麺。そして支那竹やネギ、チャーシューの味わいなど、ざっくり作っているように見えるのに、バランスが完璧に整っているんです。思い出がたくさん詰まっていますね」と懐かしむ。
上記のラーメン店は、『ホープ軒本舗 吉祥寺店』とタンメンの名店として行列を作る『はつね』以外、残念ながら全て閉店している。
この数年、原材料の高騰などの影響を受け、ラーメン店の閉店軒数が特に増えているという。行ける時に行っておかねばと改めて思う。