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イラストレーターからベリーダンサーへの転身

話は遡るが先に触れた通り、イギリスの美術大学に進学したレイラさんは、師事したいアーティストがおり、油絵を学んでいたという。

両親は美術大学で知り合って結婚。2人とも絵が好きだったこともあり、レイラさんは小さい頃からずっと絵を描いていたのだそう。

「絵の道に進もうと決めていたので、イギリス時代はひたすら課題の絵を描いていて他のことをする余裕がありませんでした」と学生時代を振り返る。

個展に出した作品

帰国後は東京で活動していたが、画商のリクエストで毎月30枚ほど描くという生活に「ピーク時には画廊で毎月個展を開いていただくなど楽しかったですが、自分の好きなものを描けるわけではないので大変でもありました」と言う。

イラストレーターや、専門学校の中央工学校(東京都北区)で絵の講師などをしていた最中に出合ったのが、現在、インストラクターをしているベリーダンスだ。

「ベリーダンスが日本にそれほど浸透していなかった(2000年代初めの)頃でした。生演奏で即興で踊るのがすごくライブ感があって楽しいんです。銀座のママさんに誘われてショーを観に行き、一緒にレッスンを始めたのがきっかけでした。トルコ人の先生がそれまで会ったことのないタイプの女性で、その方の生き方に惹き込まれたということもあるかもしれません」

インストラクターとして新たな一歩、カイヤさんとベリーダンススタジオ

そこからなぜインストラクターへとつながるのだろうか。

「習い始めて3年ほど経った頃でしょうか。(タレントの)川崎カイヤさんと一緒に(東京の)自由が丘でベリーダンススタジオを立ち上げる運びとなり、さらに謎のマダムと愛知にダンススクールを開講し、気がついたら東京にもいくつかスタジオを持つようになっていました」

現在は、東京で自身のスタジオを運営しながらカルチャーセンターなどで毎日レッスンを行いつつ、ショーへも出演している。愛知のスタジオは教え子に一任したのだそう。

ベリーダンサーとしてショーに出ることも

「基本の型さえ覚えれば自由なので、自分の個性で踊れるところが魅力です。同じ曲でも踊り手で全然違います。メタルで踊ったり、中には日本の演歌で踊ったりという方もいますよ。年を重ねてもできるのがいいところで、プロのダンサーさんで、60代、70代でもとても素敵な方がおいでです。ベリーダンス界隈には、怪しくてクレイジーなとびっきりの美女たちがたくさんいたんです」と微笑む。

偶然の出会いが今をつくる、彼女が輝き続ける理由

地方でインストラクターの仕事が入った時は、その地域のラーメンの食べ歩きもできるのがうれしいと語る。あわせて絵の仕事も続けているのだとか。

「ラーメンを食べて何かを書くとか絵を描くとか、踊ることも自分の中ではすべて表現活動のひとつです。私としては延長線上にあるというか、あまり違うこととは捉えていません」

どこに人生の転機があるかわからないもの。レイラさんの話を聞いていると、その偶然と必然を感じるし、やはり人との出会いは重要だ。

「ベリーダンスのインストラクターになったのは偶然の流れですが、教えることで教わることがたくさんあり、とても楽しいです。私は本当に周りの方々に恵まれていて、なぜかいろいろな方に背中を押していただいて今に至ったという感じです」

一歩踏み出してみる好奇心や挑戦心を持ち続けることで人はずっと輝くのだと実感する。

ベリーダンスのショー出演のためトルコに訪れた時
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”創造性が高いラーメンを応援したい”
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市村 幸妙
市村 幸妙

市村 幸妙

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