さらなる出合いを求めて、ひとりでラーメン遠征
「幼少期に食が抑圧されたことで、食に対して異常な執着を持つようになりました」と笑うレイラさん。現在もさまざまなものを食べ歩くが、やはり強く心惹かれるのはラーメン。
「私自身、料理も好きなので、例えば煮干しをこんなにグツグツと煮立たせていいの!? など、セオリーにとらわれない調理法で出汁をとっているお店があったり、店主さんそれぞれの試行錯誤の跡が見えたりすることに驚きました」
2000(平成12)年頃からは、さらなる出合いを求めて1人で遠征もするように。
「地方に行くと、その土地ごとに愛されている各地のラーメンがあるんです。地元の方々に『これを食べにわざわざ東京から来たの!?』とびっくりされながらも、みなさんごく普通に、でも誇りに思って召し上がっている。そんな自由さと多彩さと稀有さがある物は他にはないと興味を持ちました」
中国・西安へビャンビャン麺を求めて旅したり、佐渡島の『二見食堂』(新潟県佐渡市)や昆布ラーメンのためだけに利尻島の『魚勝』(北海道利尻富士町)を”弾丸”で訪ねたりと、ますます行動範囲も広がっていった(2軒とも閉店)。
ラーメン評論家の大崎さんとの出会いで一歩踏み出す
ラーメンの奥深さと多様性に触れ、さらにのめり込むようになり、備忘録として食べ歩きの記録を交流サイト「mixi」で発信していたという。
そんな折にWebサイトの喜多方ラーメンバスツアーで出会ったのが、ラーメン評論家の大崎裕史さんだ。大崎さんといえば、当時ラーメン情報のフリーペーパー『東京のラーメン屋さん』(通称:「とらさん」)を発行し、ラーメンフリークたちの貴重な情報源となっていた。今から25年前のことだ。
「ラーメンのみならず世界の食文化、政治、経済、芸術とあらゆる分野に精通する河田剛さん(『ラーメンの経済学』著者)から大崎さんをご紹介いただきました。書いていたものが大崎さんの目に偶然留まったようで、『とらさん』で連載させていただくことになりました。そこから、当時大崎さんが審査員を務めていた(『TRY』の源流となる週刊の情報誌)『『TOKYO☆1週間』に出てみないかとお声がけがあり、今に繋がっています」
こうした行動力がレイラさんをラーメンフリークから、もう一歩進ませる機会になっていった。
「その後徐々にブレーメンの音楽隊のようにラーメン仲間が増えてゆき、その頂点に大崎さんが君臨していました。『ラーメン屋 トイ・ボックス』店主の山上貴典さんも当時は一般のラーメンフリークとして参加されていました」
『トイ・ボックス』(東京都荒川区)は、2024年度の「TRY」で殿堂入りを果たした名店だ。