ラーメンフリークたちと交流、地方を回る日々がスタート
多くのラーメンフリークと交流することで、これまでとは桁違いの情報が届くようになった。
「大崎さんが若いラーメン好きを育てたいと、20代のラーメンフリークを集めたオフ会を開催していて、その人たちと仲良くなったことで一気に環境が変わりました。地方まで食べに行ったことはなかったのですが、仲間と車で乗り合わせてお店を回る生活になりました。仲間たちから『あそこのラーメンが美味しい』と聞けば行きたくなります。世の中にはもっといろいろなラーメンがあることがわかって、世界が目まぐるしく変化しました」
当時はインターネット黎明期。青木さんはまさにRPGの如く仲間を得て情報を手に入れ、より多くのラーメンを食べて、知識も情報量もレベルアップしていった。
「『ラーメン王選手権』で負けて悔しかったので、とにかく食べました。ペースは、“ラオタ”(ラーメンのオタク)に分類される700〜800杯になりましたが、初回挑戦後からの1~2年は年間900杯は食べましたね」
食事の時に「何を食べようかな」ではなく、「どの店のラーメンを食べようかな」と考えるような生活だった。
一部を見ただけで当てる「能力」
初挑戦の第8回では、調理過程を見てどの店のラーメンかを答える出題で、見事に正解。さらに「ここはどんなお店ですか?」と尋ねられたという。
「雑誌などでビジュアルを覚えていたので答えられましたが、食べたことがないと正直に言ったところ、ちょっとした議論になりました。居心地が悪かったですね」と苦笑いする。
「ラオタは写真を見たときに、店名や味などをパッと思い出せる能力に秀でている人が多いんじゃないかと思います」
その能力に胡坐をかかず、青木さんはリベンジに向けてあらゆる情報のインプットに努めた。
「当時、携帯電話で写真や動画が撮れるようになっていました。馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、行列ができたお店で客の足元だけの動画を撮ったり、店内の時計やカレンダーなどラーメン以外にも店内の特徴や周囲をチェックし、どんな出題にも対応できるようにメモしていました。食べているだけではラーメン王にはなれません。運も相当あります」