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阪神ファンには忘れられない「あの日」がやってくる。1985(昭和60)年4月17日(水)、甲子園球場の阪神対巨人戦で飛び出したランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布の阪神クリーンアップトリオによる「バックスクリーン3連発」。あれから39年を経た2024年、同じ日の同じ曜日、同じ甲子園球場(兵庫県西宮市)で、伝統の一戦が行われる。球団史上初の連覇を目指す阪神に再び奇跡は起きるのか?

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同じ日に同じ曜日は「あの4月17日」以来

クリーンアップトリオがバックスクリーンに3者連続でホームランを叩き込む。そんな奇跡のようなことが39年前に甲子園球場で起こった。

阪神が球団史上初の日本一となった1985年。阪神巨人伝統の一戦で飛び出したランディ・バース(70)、掛布雅之(68)、岡田彰布(66)のクリーンアップトリオによるバックスクリーン3連発である。

この年、21年ぶりのリーグ優勝を果たし、日本一となった阪神の快進撃の象徴のように取り上げられるため、優勝を決定づけたシーズン終盤に飛び出したように思われがちだが、実際には4月13日の開幕直後の4月17日に起こったことだ。

2024年はその4月17日に、同じ甲子園球場で阪神巨人戦が開催される。しかも同じ水曜日だ。バックスクリーン3連発以後、4月17日に甲子園球場で阪神巨人戦が行われたことは2度あるが、いずれも週末の3連戦の開催。同じ暦で平日3連戦(4月16日、17日、18日)の中日、水曜日に行われるのは、あの日以来のことになる。

甲子園球場のバックスクリーン mtaira @Adobe Stock

複雑な事情が「奇縁」を生んだ、春の甲子園やオリックスの開幕権

この日程が組まれた背景には。複雑な事情が絡んでいる。阪神は3月30日からの開幕3連戦の開催権があったが、甲子園球場は、第96回選抜高校野球大会(3月18日~31日)が行われるために使用不可。代替地となる京セラドーム大阪(大阪市)も、2024年はオリックスが開幕権を持っていたため使用できず、阪神は本拠地開幕権を辞退した。

そのため巨人との3月30日からの開幕3連戦は東京ドームで行われ、今シーズン2度目の阪神巨人3連戦が4月16日から甲子園球場で組まれたのだ。奇縁ともいうべき、不思議なめぐりあわせによって行われることになった「4・17伝統の一戦」。阪神ファンとしては「奇跡よもう一度」という期待がいやが上にも高まるというものだ。

リニューアル後、蔦の絡まった甲子園球場の外観(2019年撮影) 撮影/石川哲也

7回裏のわずか6球の出来事、背中を向けて見送ったクロマティ

改めて1985年4月17日、甲子園球場で起きたバックスクリーン3連発を振り返ろう。

両軍の監督は、阪神が吉田義男(90)、巨人が王貞治(83)。阪神が1対3と2点のビハインドを許した7回裏二死一・二塁。3番のバースが、バッターボックスに立つ。マウンドには入団4年目の巨人の先発・槙原寛己(60)。その初球だった。甘く入ったシュートをドンピシャのタイミングで打ち返すと、打球は低い弾道でバックスクリーンに突き刺さる逆転3ランに。

続く4番の掛布は3球目、内角高めのストレートを、バックスクリーンやや左へ運ぶ。さらに5番の岡田が2球目のスライダーを狙いすましたかのように弾き返し、これまたバックスクリーンに叩き込んだ。

3本目の時が特に印象的だ。放物線を見送ったセンターのウォーレン・クロマティ(70)がホームに背中を向けて呆然とフェンス手前で立ち尽くし、マウンドでは槇原がうなだれた。

わずか6球の出来事だった。

阪神対巨人、7回裏の阪神の攻撃“ラッキーセブン”に沸く甲子園球場のスタンド(2006年撮影) 撮影/石川哲也
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奇跡はなぜ起きた?巨人の「急造バッテリー」が遠因に...
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石川哲也
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