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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第65回目に取り上げるのは1991年にデビューした初代トヨタアリストだ。

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1990年代初頭はセダンがクルマのメイン

1991年10月にクラウンがフルモデルチェンジして9代目が登場。クラウンは1955年1月1日に初代トヨペットクラウンが発売を開始して、2025年で70周年を迎えた日本を代表するビッグネームというのはご存じのとおり。

今ではセダンは絶滅危惧種のような存在になっているが、1990年代初頭はRVブームが勃発してはいたものの、クルマ界のメインを張っていた。

クラウンについていえば、1980年代のハイソカーブーム、バブル景気などもあり販売面では好調をキープしていた。

トヨタ、胃や日本を代表するセダンとしてクラウンは絶大なる支持を得ていた

税制改革がクルマの販売を後押し

さらに税制面での後押しも大きかった。1989年に消費税の導入と同時に贅沢税といわれた物品税が廃止された。この物品税、3ナンバー車は23.0%、5ナンバーの小型車は18.5%、軽自動車は15.5%が課税されていた。クルマはとんでもなく贅沢なものとされていたのだ。

日本で初めて導入された消費税は3%の税率だったが、乗用車については例外で6%。クルマが贅沢という位置づけは変わらなかったが、物品税に比べると搾取される税金が減ったことでクルマの販売を後押し。それが6%消費税10%高すぎる、と感じる昨今だが、そんな時代だったのだ。

その次が1990年に排気量が4L以下の自動車税の見直しが行われ。それまでは3ナンバー車というだけで8万円を超える自動車税を支払っていたが、大幅に引き下げられたのは3車の販売を大きく後押しした。

センセーショナルなセルシオの登場も税制改革を見越していた

クラウンを取り巻く環境が変化

上記の税制改革などにより日本の3ナンバー車は一気に増殖するなど大きく様変わり。それはクラウンも同じで、クラウンを取り巻く環境が大きく変化。環境の変化については、1989年に初代セルシオの登場がある。クラウンがトヨタの顔であることには変わらないものの、トヨタ車の乗用車のヒエラルキー(センチュリー)ではセルシオにトップを譲る形となった。

日本のクルマ界の王道をひた走る絶対的存在のクラウンだが、その70年の歴史において何度かドラスティックな変化がもたらされている。そのひとつが1991年だった。

8代目クラウンは1987年デビューということで、税制改正前に登場。初代セルシオ用に開発された4L、V8DOHCエンジンを初代セルシオよりも先に登場させたり、3ナンバー車人気に対応するためにバンパーやモール類を大型化して3ナンバーボディに対応したが、付け焼刃感は否めなかった。

それらのこともあり時代のトレンドに合わせ、9代目は3ナンバー専用モデルとして開発され、クラウン史上初めて全車が3ナンバー車となったのだ。しかし、何についても周到なトヨタ、3ナンバー化に際しては、ホントかウソかは知らないが、日本全国の車庫事情を調査した結果、全幅1750mmまでのクルマはほとんど問題なく出し入れできる、と5ナンバーサイズにこだわる既存のオーナーに向けてアピールしたという。

9代目クラウンは押し出しの弱いクラウンらしくないデザインが不評
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クラウンに上級モデルを設定
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市原 信幸
市原 信幸

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