トヨタ自動車が静岡県裾野市で建設を進めている実証都市「トヨタ・ウーブン・シティ」。この場所は元々、トヨタ自動車東日本(旧・関東自動車工業)東富士工場があったところだ。その工場跡地からは、かつて国鉄御殿場線(現JR)へと伸びる貨物線「トヨタ自動車・東富士工場専用線」が走っていた。今から43年前に廃止された貨物専用線だ。未来都市の陰に埋もれてしまうであろうこの廃線跡とともに、富士山麓を走る鉄道を訪ねてみようと小さな旅に出かけた。
※トップ画像は、御殿場市と裾野市の境界を流れる久保川に架かるコンクリート製の「鉄道橋」遺構。これが「トヨタ自動車・東富士工場」から伸びていた専用線(貨物線)の廃線跡だ=2025年6月28日、裾野市御宿
工場跡地に建設が進む実証都市「トヨタ・ウーブン・シティ」
今では見かけることのなくなった鉄道貨物による「自動車輸送」。1966(昭和41)年にはじまったこの輸送方法は、静岡県裾野市にあったトヨタ自動車(旧・関東自動車工業)東富士工場から出荷される自動車でも行われるようになり、そのために建設されたのが今回取り上げる「トヨタ自動車専用」の貨物線なのである。
現在、この工場の跡地には、実証都市「トヨタ・ウーブン・シティ」の建設が進められている。この「ウーブン・シティ」とは、トヨタ自動車が行なっている未来型スマートシティのことで、AIやIoT、自動運転などの最先端技術を駆使し、人々の生活をより快適で効率的な社会となることを目指す「実験都市」なのだ。
この未来型スマートシティへと続く「廃線跡」は、現在どうなっているのだろうか。もちろん、スマートシティへの”鉄道路線”として“復活”する話など微塵もない。専用線が活躍したのは、1969(昭和44)年7月から1982(昭和57)年11月までのわずか13年間で、これは貨物輸送そのものがモーダルシフト(トラックなどの自動車による輸送を、環境負荷の小さい鉄道や船舶への利用に転換すること)したことや、国鉄の合理化による鉄道貨物輸送の衰退が起因する。
「トヨタ自動車・東富士工場専用線」と名乗ったこの貨物線は、御殿場線の岩波駅(裾野市)を起点に、路線長は2.2kmを有した。岩波駅からは、御殿場線を約1km走ったところで本線から分岐し、そこから専用線として東富士工場へとレールが敷かれていた。自動車を乗せた貨車(車運車)は、国鉄のディーゼル機関車が入換作業を行った。工場を出荷した自動車を乗せた貨車は、一旦、岩波駅と向かい、そこから各地へと出発していった。

「ウーブン・シティ」へとつづく廃線跡
トヨタ自動車・東富士工場専用線の廃線跡は、JR御殿場線の岩波駅から国府津駅方面へ1km進んだ地点から姿を現す。その場所は、国道246号線の裾野バイパス「御宿北交差点」のほど近くにあり、同交差点から伸びる県道が御殿場線をアンダークロスする「神山架道橋」のあたりになる。ここには、現役の御殿場線と並行するように造られた巨大な築堤があり、これが廃線跡のはじまりとなる。
この築堤に沿って脇道を奥へと進むと、御殿場線とは異なる独立して造られた橋台が現れる。ここには以前、コンクリート製の鉄道橋(PC桁)が架かっていたが、現在は撤去されいる。さらに築堤沿いを進み、道路と築堤の高さが同じになったあたりで築堤の上へ出ると、ゆるいアーチを描く廃線跡と付近を流れる久保川に架かる鉄道橋を確認することができる。
過去には、この築堤上にも線路が遺されていたが、現在は久保川に架かるコンクリート製の“鉄道橋”部分にしか見ることができない。ところどころで廃線以来、成長を続けてきたであろう樹木が伐採されており、いつの頃かレールの撤去とともに整地を行ったのだろう。
この付近の廃線跡の直上には、国道246号線・裾野バイパス(高架橋)が通っており、これをくぐると「鉄道橋」が目前に迫ってくる。この橋の下には「久保川」が流れており、この川がこのあたりの御殿場市と裾野市の境界線である。コンクリート製の「久保川橋梁」を渡るとその先には、東名高速道路をくぐるボックスカルバート(トンネル)が見えてくる。
しかし、このトンネルの手前は、廃線跡もろとも草木に埋もれてしまっていたので、先に進むことを断念して引き返すことにした。実は、このトンネルの先にもう一つの鉄道橋(搗の木川〔つきのきがわ〕橋梁)があるのだが、トヨタ自動車の私有地=「ウーブン・シティ」の建設現場の直近となるため、今となっては確認することは難しいだろう。
