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全国のラーメンの名店が出店する「新横浜ラーメン博物館」(ラー博)は、年間80万人以上もの客が訪れる“ラーメンの聖地”です。横浜市の新横浜駅前にオープン後、2024年3月に30年の節目を迎えましたが、これまでに招致したラーメン店は50店以上、延べ入館者数は3000万人を超えます。岩岡洋志館長が、それら名店の「ラーメンと人が織りなす物語」を紡ぎました。それが、新刊『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』(講談社ビーシー/講談社)です。収録の中から、“ラーメンの鬼”が見出した玄界灘のご当地塩ラーメンの「らぁ麺むらまさ」を紹介します。

『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』(講談社ビーシー/講談社、1760円)
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佐野実さんが最後にプロデュースした塩ラーメン

地元に根ざした新たなラーメンを生み出そうと、ラー博が取り組んだのが、「新ご当地ラーメン創生計画」です。その第3弾は、2009年の「新横浜ラーメン博物館15周年企画」として、佐賀県の唐津を舞台に実施しました。プロデューサーは、あの「支那そばや」の佐野実さん(故人)にお願いをしました。ご自身からも、「最後のプロデュース」として快諾いただきました。

九州は「とんこつ文化圏」ですので、新たなとんこつラーメンが出現するかと思っていたのですが、佐野さんが出した答えは塩ラーメンでした。たしかに玄界灘は暖流と寒流が入り混じる拠点でミネラル豊富な塩がとれますし、唐津は海産物も豊富。場所こそ北と南で異なりますが、イメージ的には函館に似たようなエリアと感じました。函館には塩ラーメンの文化が定着しているので、時間をかければ唐津でも根づくのではと感じました。

【「らぁ麺むらまさ」過去のラー博出店期間】
・ラー博初出店:2009年9月17日~2010年4月4日
・「あの銘店をもう一度」出店:2023年6月27日~2023年7月17日

「新ご当地ラーメン創生計画」の第3弾に選ばれた佐賀・唐津の「らぁ麺むらまさ」。ラー博出店当時=2009年

唐津は玄界灘に面した風光明媚な城下町

まずは唐津について簡単にご説明いたします。

唐津は佐賀県の北西に位置し、玄界灘に面する旧唐津藩の城下町をルーツとする市で、古くから唐などの大陸との窓口であり、多くの生命を育む豊かな海、玄界灘を臨み、深く清らかな自然の山々に守られた地です。

唐津にはいわゆる “三大名物”が多く、“三大松原”の「虹の松原」や、佐賀“三大焼物”の「唐津焼」、日本“三大くんち”の「唐津くんち」などもあります。

そして、玄界灘でとれる剣先イカの「呼子のイカ」は全国的にも知られる特産品です。

新しいラーメン文化が根づく可能性を感じて

その唐津の町で選ばれ、ラー博に期間限定の店として誕生したのが唐津発の塩ラーメン、「らぁ麺むらまさ」です。2009年9月のことでした。

プロデューサー・佐野さんが唐津を選定した理由は、

1.海産物等の食材が豊富である。

2.ラーメンのスタイルは確立されていないが、先行する麺文化「うどん」は古くから食べられている。

3.すでにラーメン文化が根づいている「函館」と似た文化が存在する。

以上の選定理由から、唐津にも新しいラーメン文化が根づく背景としては十分であると判断したためです。

出店事業主は唐津市で造園業を営む「グリーンアーツ株式会社(代表・村山昌治氏)」が選ばれました。この「新ご当地ラーメン創生計画」は、新横浜ラーメン博物館に出店(2009年9月17日~2010年4月4日)したのち、必ず地元に戻り、店を開業することが条件でした。

「佐野実、うなる。」との文字が躍るポスター「らぁ麺むらまさ」がラー博に出店した当時のもの=2009年

実際、2010年4月22日に帰郷オープンも成し遂げ、現在も唐津市内で営業を続けております。

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とんこつではなく、玄界灘が育んだ塩ラーメンで
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