醬油と漁業の街、千葉県銚子市を走るローカル私鉄「銚子電気鉄道」。その創始となる”銚子遊覧鉄道”が開業してから、今年で112年を迎える。かつての沿線には「皇族別邸」が存在し、昭和天皇や上皇陛下も訪れている。戦後期は順調に進んだ鉄道経営だったが、1965(昭和40)年代に150万人を誇った乗客数も、現在ではその約半数にまで落ち込んでいる。1976(昭和51)年から始めた”副業”の「たい焼き」販売は、当時ニュースにもなった。今では「ぬれ煎餅」の売上が、鉄道収入を大きく上回るまでに成長した。”粉もん事業”が支えてきた「銚子電気鉄道」。その波乱万丈な鉄道史とは、どんなものだったのだろうか。
※トップ画像は、関西の南海電鉄から嫁いで来たグレー色を基調とした22000形電車=2025年7月23日、銚子市小畑新町
皇族別邸とのかかわり
現在の犬吠駅から350mほど終点・外川駅寄りにあった「旧犬吠駅」〔1913~1917年=銚子遊覧鉄道と1923~1942年=銚子鉄道の駅〕の近くには、かつて「皇族別邸(いわゆる別荘)」が存在した。この別邸とは、戦後に”皇籍離脱”した“伏見宮(ふしみのみや)家”が所有していた銚子別邸「瑞鶴荘(ずいかくそう)」のことだ。皇室の別邸といえば、戦前期まで天皇家が使用する離宮や御用邸が25邸、皇族方(宮家)が使用する”別邸”は49邸もあった。そのなかで千葉県にあったのは、ここ銚子だけである。
銚子の地に、別邸が建てられたのは1905(明治38)年のことで、この時すでに「銚子駅」は開業しており、両国橋駅(現・JR両国駅)から総武鉄道(現JR総武本線)が開通していた。鉄道の利便性がよく、江戸時代からの探勝地であり、気候の良さといった絶好のロケーションだからこそ、この地が選ばれたのだろう。
銚子電気鉄道の前身である「銚子遊覧鉄道」が開通したのは、別邸の開設から8年後のことだが、きっとその存在を意識したのであろう。車両には、「特等車」(いまでいうグリーン車)を用意するなど、皇族方の乗車を見込んでいたことが伺える。総武鉄道からは、皇族方を乗せた「臨時列車」を旧犬吠駅まで走らせたこともあったという。
この別邸をこよなく愛した人物は、伏見宮貞愛親王(ふしみのみや・さだなる・しんのう/1858〔安政5〕年~1923〔大正12〕年)であった。晩年も銚子別邸で過ごし、亡くなられたのもこの銚子別邸だった。亡骸は、旧犬吠駅から両国橋駅(現・JR両国駅)まで鉄道(病客車)で運ばれた。
昭和天皇も訪れた瑞鶴荘
伏見宮銚子別邸「瑞鶴荘」は、とにかく広大な敷地だった。総敷地面積は、5万平方メートルを優に超える大きさで、正門から主屋までのアプローチは100mもあったそうだ。その場所は、犬吠埼灯台から南西900mの高台に位置し、太平洋を一望できる好立地であった。実のところ、この別邸が伏見宮家の所有だったのは、1905(明治38)年から1926(大正15)年までの21年間で、それ以後は第一生命や銚子醤油(のちのヒゲタ醤油)などの社長を務めた〔2代目〕浜口吉兵衛(幼名=麟蔵)をはじめとする、名士たちの手に渡った。
1965(昭和40)年からは、財団法人銚子開発協会から国土総合開発へ、1982(昭和57)年からは株式会社瑞鶴荘が所有した。邸内は、1965(昭和40)年以降は”放置状態”にあったとされ、1983(昭和58)年に老朽化のため建物や庭園などを解体し、空き地同然の状態にあった。現在は、高級宿泊施設「ホテル別邸海の森」として生まれ変わっている。
この別邸を利用した皇室の方々には、学童期の昭和天皇や、名士の別荘となっていた時代には”15歳の上皇陛下”がお泊まりになられている。
昭和天皇が訪れた際のエピソードとして、昭和の終わりごろに”大正時代を知る”地元の方からこんな話を伺ったことがある。「1916(大正5)年11月に、当時11歳だった昭和天皇が瑞鶴荘に泊まられたとき、広大な敷地内を興味本位で“探検”でもなさったのか、気がついたらその姿を見失ってしまい“行方不明”になったことがあった」という。“お付きの人らが総出”で広大な敷地内や別邸の周辺を探し回ったそうだ。当時の時代背景を考えれば、とんでもない“事件”だったに違いない。
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