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信越本線 碓氷峠 急勾配の碓氷峠と「峠の釜めし」/1983年撮影

上野駅発の特急あさまが横川駅に到着、勾配専用の機関車EF63、2両が連結されていた。(1983年撮影)

 1997年まで運転していた信越本線の碓氷峠、麓の駅のホームで買った釜飯の話です  うまいですよねぇ。「おぎのや峠の釜めし」。鶏の炊き込みご飯、ごぼう、シイタケ、鶉のタマゴ……それにグリーンピースとあんず。ほんとうに絶妙のバランスです。数えたわけではないのですが、たぶん過去にいちばんたくさん食べた駅弁です。その証拠に、家の片隅に、なぜか捨てられない釜が、けっこうな数積み上がっています。  少しマニアックな話になりますが、群馬県と長野県の県境にある碓氷峠(うすいとうげ:信越本線横川~軽井沢間)は、長野新幹線が走るまで約3.8度の勾配という、鉄道としてはものすごい急坂の難所でした。峠の麓にある横川駅では下り列車に対して急坂を押し上げるための機関車を2両連結します。上り列車では、峠の頂にある軽井沢駅で連結し、ブレーキを利かせて下ってきた機関車を切り離します。この停車時間を利用して乗客ではホームに降りてゆっくりと駅弁を買うことができたわけです。  たくさんの機関車が往き来する鉄道の街で買う釜飯、なつかしい風景です。  碓氷峠の区間は1997年に廃止されて、東京~長野を結ぶルートは北陸新幹線(開業当時は「長野行き新幹線」と呼ばれていました)へ移り、勾配を感じる間もなく進んでゆきます。  ホームで買う釜飯はなくなりましたが、群馬県や長野県の駅やドライブインで今も買うことができます。東京でも東京駅にある駅弁売店「祭り」にも並びます。さらに2017年4月には「GINZA SIX」本館B2Fに荻野屋東京1号店ができました。  1958年にできて、今に伝わる駅弁。また陶器の釜が積みあがってしまいそうです。

おぎのやの峠の釜めし、できてからもうすぐ60年を迎える老舗の駅弁だ。
機関車を連結する時間で、乗客はホームに降りてゆっくりと駅弁を買うことができた。(1983年撮影)
秋の碓氷峠を走る特急あさま、手前のレンガのアーチ橋は、明治26年から昭和36年まで使われた旧路線跡。(1995年撮影)
1997年にこの区間が廃止になるころ、鉄道ファンがたくさん訪れた。(1997年撮影)
峠の上にある軽井沢駅、新幹線開業前の旧駅舎は記念館として、現在の駅の隣に移築されている。

現在は、北陸新幹線のE7系、W7系が軽快に山を登ってゆく。

佐々倉実(ささくら みのる)  鉄道をメインにスチール、ムービーを撮影する“鉄道カメラマン”。初めて鉄道写真を撮った小学生のころから約50年。鉄道カメラマンなのに、列車に乗ると走るシーンを撮影しにくいので、撮影の8割はクルマで移動。そんなワケで1年のかなりの期間をクルマで生活しています。ちなみに、鉄道の他に“ひつじ”の写真もライフワークで撮影中、ときどきおいしいひつじの話も出てきます。

 主な著作に「富士鉄」(講談社)「新幹線ぴあ」(ぴあMOOK)「鉄道ムービー入門」(玄光社)「ひつじがすき」(山と溪谷社)など多数、映像集に「感動の美景鉄道」(MAXAM)「日本の新幹線・特急」(シンフォレスト)など、担当番組に「素晴らしき日本・鉄道の旅」(BS-TBS)など

※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。

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