行ってみなければわからない
雪道を過ぎ、3人とも無事に、なだらかな道に出た時は本当にほっとした。夕方、ようやく13時間の長い登山を終え、山小屋のドアを開けると、先に戻っていた日本人の団体ツアー客が口々に「山頂は行けた?」と私たちに聞いてきた。女子大生は「はい!」と微笑む。登頂成功率は、約半分。登れた人と登れなかった人は顔の表情ですぐわかった。
途中で降りたというおじさんは私に「え~あんた、行けたの? ふ~ん」と、むくれてしまった。大蛇を巻いたへんてこりんなこの女でさえ山頂に行けたのに、俺は……というおじさんの心の声が聞こえてきそうだ。きっと長年の夢だったのであろうに申し訳ない。
標高が高いとはいえ、特別な技術や体力がなくても思ったより簡単に登れる山である。しかし、高度順応できるかどうかは、いくら準備や対策をしても、実際にその場に行ってみなければわからないことも多い。もしピークを踏めなかったとしても、途中の素晴らしい景観や様々な国の人との出会いだけでも、貴重な体験ではないだろうか。
楽しめたかどうか
食堂に行くと、先に降りたルイスおじさんは、ここで知り合ったという同郷のスペイン人登山客と一緒に、ご機嫌な様子でビールを飲んで盛り上がっていた。降りたら、すっかり頭痛もおさまったのだという。そして私にもビールを注ぎながら尋ねた。
「アヅサ、今日は楽しめたか?」
私はうなずいた。そして考えた。旅も山も人生も、誰かと比べるより、「自分が楽しめたかどうか」が一番、大切なのではないかと。
いろいろあったけれど、たくさんの価値観に触れた楽しい山旅だった。ただ、ジャンボと明日で別れるのがたまらなくさみしかった。巻いたり、投げたり、足に乗せたり、土ぼこりと私の汗でジャンボはすっかり薄汚くなった。 ふもとの宿についたら、石鹸でゴシゴシ洗って山オヤジに返そう。そしていつかまたジャンボとキリマンジャロに登りたい。力強くおおらかで、どうにも魅力的な山なのだ。
文/白石あづさ